ナレーターはしきりに東大全共闘と三島由紀夫の左翼と右翼の闘い!と煽る様な文言を使っているけど、前年の1968年に「文化防衛論」を著した三島に( 日本について論じませんか?)と全共闘から誘って実現した討論会だったそうだ。
少し前に安田講堂の立て篭もりで機動隊に押さえ込まれた全共闘は、古臭い考えは燃やしてしまえ!とばかりにこの討論会を「東大焚祭」と名付けているが、討論前の10分間のスピーチで既に軍配は三島に上がっている。
何故なら1000人の聴衆の中から三島のスピーチに大きな笑い声(ウケる笑い)が何度も上がっているからだ。
知識人の自惚れに対する反感という点では三島も東大全共闘も共通の意識があり、共に日本の今を憂うことでも一致しているのだ。
三島にとっては、自分の言葉が今の若者にどれだけ伝わるのか、「言葉の有効性を確かめに来た」というだけあって、説明は丁寧で度々入るユーモアも分かりやすい。
単身で敵地にやって来た…と表現されてるが、楯の会のメンバーが前列に座って居たり、新潮社のカメラマンが同行して居たりと色々予防線は張られていたようだ。
三島の最後の言葉「諸君の熱情は信じます、他の物は一切信じなくてもこれだけは信じます」「非常に誘惑的であったけれども共闘は拒否します」笑
既にその時の死を覚悟していた彼の言葉は力強く的確であり、三島の話を遮って論点の違う異論をけし掛ける感情的な学生に向けてもしっかりと敬意を表した彼の態度は常に冷静で立派だった。