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MINAMATAーミナマターのSHIMABOOのレビュー・感想・評価

MINAMATAーミナマター(2020年製作の映画)
4.0
 映画の頭に”This is based on a true story”とかそういう類の文言があると、とっさに意識を身構えさせる習慣がいつの間にか付いてしまった。実話を下敷きにしたとしても、それは作品のドラマや出来事の真実性を必ずしも保証するわけではない。この映画もまた然り。公式パンフによれば、チッソ従業員がユージン(本作でジョニー・デップが演じている)らに暴行を加えた「五木事件」のシーンは、実際の現場は熊本県の水俣工場ではなく千葉県市原市のチッソ五木工場とのこと。また映画のハイライトである「入浴する智子と母」撮影は事件の前に行われたので、当然その時のユージンは無傷だったはずである。

 いったいジョニー・デップ以下スタッフ一同は何を意図してこの作品を作ったのか――それは例の「入浴する智子と母」撮影のシーンに込められていると思う。ジョニー・デップ演じるユージンは目の前の親子のたたずまいに受難後のキリストと母マリアを見、そしてその光景を「ピエタ」の図式により近づけるため、手足の位置を細かく変えさせた後、出来上がったパーフェクトな構図をフィルムに収めたのである。結果それは遠い極東の風景に欧米の宗教的価値観が加えられた素晴らしい作品になり、太平洋を越えて人々の共感を呼んだ。

 つまり、アクチュアリティが基本の写真ジャーナリズムでさえ、事実そのものをとらえたわけではない。言い換えれば「撮らなかったとしてもそこに存在したもの」を撮ったのではない。そこには生の現実に少しの演出が足し算され、現実を目の当たりにした自分(=ユージン・スミス)の感性がもう一つの「真実」として表現されている。彼の写真や、また上記の意味での”現実”と向きあったとされている土本典昭監督のドキュメンタリー映画でさえも、レンズを通した時点で物理的な現実よりも一段階下がった、主観的な現実なのではないだろうか。

 そして本作も、映画と写真というメディアの違いはあれど目指しているものは同じであるという主張が「入浴する智子と母」のシーンから読み取れる。実際の今も続いている問題に向き合ったキャスト及びスタッフの痕跡を保存したこのフィルムにもまた、もう一つの真実があると。確かに前述した事実関係の違いや、映画の前面に押し出されているユージンとアイリーンの純ハリウッド的ラブロマンス、雑誌編集長とユージンのドラマなど、きっと当事者の方々が観たら戸惑われるような描写もあちこち見受けられるが、見たところ(不勉強で確かなことは分からないのだけど)そういった要素とリアリズムの塩梅はかなり絶妙なんじゃないかと思う。むしろその辺や、エンドクレジットで(わざわざ!)紹介される世界各地の人為的ディザスターのギャラリーから、世界映画としてのハリウッドの自負と気合を見た気がする。
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