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女と男のいる舗道のSHIMABOOのレビュー・感想・評価

女と男のいる舗道(1962年製作の映画)
4.0
 ゴダール映画で魅力的なのは、何をおいても車だと思う(女優、という方が殆どだと思うが)。今でいう所の自転車に近いだろうか。今の車しか知らない我々からすると信じられないほど軽快に街を疾走し、道なき道を走り、人を連れ去り、あっという間に登場人物たち(と観客)をどこか違う場所へと導き、そしていとも簡単に盗まれもする。

 しかし、『男と女のいる舗道』にはそのような車は登場しない。そう、ヒロインのアンナ・カリーナは車を持たないのだ。それゆえ彼女に出来ることは、パリの舗道を右往左往し、時々立ち止まっては「女優になりたい」と男どもに語り、つまらなそうにレコードを売ることだけである。そしてついには騙されて娼婦に身を堕としてしまうのだが、残念なことに、そこから逃げ出して新しい自分になることも許されないのだ。彼女には車が無いから。よってゴダール映画の世界におけるこの彼女の悲劇は、ともすれば一生続いたとしてもおかしくはない。

 しかし、終わりのない映画は無い(と字を打つとマーベル映画のことが一瞬頭をよぎったが、これは無視)。となれば、この映画の終わりにふさわしいのは当然ながら車であり、ゴダールも当然それを知っている。ギャングの凶弾に倒れたアンナ・カリーナを残してそそくさとその場を、そしておそらく街をも去っていく車。銃弾で終わったのではない。なぜならアンナ・カリーナが撃たれたかどうかは重要ではないから。今作唯一といってもいい、このゴダール的オープン・カーこそが映画を見事に締めくくったのである。
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