KnightsofOdessa

粛清裁判のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

粛清裁判(2018年製作の映画)
3.5
[形骸化した虚無の儀式] 70点

真っ白な雪に包まれた1930年冬のモスクワにて、レオニード・ラムジン以下著名なエコノミストやエンジニアたちの裁判が始まった。"産業党"という組織を結成し、クーデターを企てたというのだ。"産業党裁判"と呼ばれる一連の見せしめ裁判のアーカイブから、裁判そのものを現代に蘇生させたロズニツァ通算24作目。映画はあまりにも静かに、厳かに逮捕者を連行する場面から幕を開ける。空っぽだった傍聴席は、ジガ・ヴェルトフ『カメラを持った男』でも観ているかのように一瞬にして民衆によって埋め尽くされ、粗末な裁判映画でも撮りたいかのような意気込みで裁判官や被告席、メディア席などの様子が様々な角度から収められている。まるで現代の裁判を観ているかのようなのだが、編集に困らないほど多くの映像が残されていたのだろうと想像できるほど流麗にカットが紡がれる不自然さも、この裁判の異様さを物語っている。恐らく扇情的に構成されていたであろうプロパガンダ映像を、退屈な裁判劇に再構築してしまう手腕たるや。

見せしめ裁判なので、そこにあるのは形骸化した儀式的な虚無そのものだ。被告は全員が虚ろな顔で自身の有罪を認め、槍玉に挙げられた知識人たちは舞台の上で必死に自身がどれほどの罪を犯したのかを長い時間かけて証明していく。それを聴いたであろう人民が裏切り者を排除せよと通りを行進するシーンが裁判の合間に挿入されるのだが、裁判が形骸化している分、後世へと残された彼らの映像すら見せしめ裁判の要素の一つのも見えてくる。彼らが本当に怒っているのであれば彼らが、それが仕組まれた要素の一つなら我々が、独裁政治によって提供された安易な息抜きとしての陰謀論に乗っかってしまう危険性の指摘なのかもしれない。
KnightsofOdessa

KnightsofOdessa