Oto

空白のOtoのレビュー・感想・評価

空白(2021年製作の映画)
3.8
全員被害者、全員加害者。「悪人がいない物語」は増えているけど、「善人がいない物語」は新しいかもしれない。なんとも救いのない作品。

「タガタメ」で桜井和寿が歌ったように、もしも自分が加害者・被害者になったら...ということをすごく考えさせられた。娘が犯罪者として殺される親の立場、大切な職場のための正義が子供を殺してしまった立場、急に目の前に出てきた子供を轢いてしまう立場、どれになっても辛いよ。どうしたらこのどうしようもない状況を打破できるんだろうということを考えてしまう。

孤独を抱える娘を助けられる人はいなかったのか。親権を決める段階で父親の役割を全うできるかの適切な判断があったのか。とはいえ元妻の責任はないと言えるのか。担任は責任を感じていたけど彼女の才能や努力を認められる人がなぜいなかったのか。父親の頑固さは果たして生来のものなのか、それともなにかが彼を追い詰めていたのか。悔いても謝っても許されない加害者はどう折り合いをつければいいのか。

凄惨な事故シーンも衝撃的だったけど、「弁当」によって生死を感じる松坂桃李のふたつのシーンと、絵を通して亡き娘を理解しようとする古田新太のシーンがこの映画の白眉だった、と個人的には思う。

遺族の父によって追い詰められた自死直前の極限状態でクレームを入れるシーン。怒りは感染するんだということを実感してすごく恐ろしくなった。その直後に謝罪をするのもすごく彼の背反する性格の描写として面白い。寺島しのぶがすかさず救ってキスをするという気まずさも含めてすごく印象的。
終盤の(『最愛』でも注目している)奥野瑛太との「焼き鳥弁当」のくだりは、この映画における一番の被害者とも言える彼の今までの人生がほんの少しだけ肯定されたような、かと言って希望で先が開けるわけではなく苦味が残っている感覚もあって絶妙。

父の血のようにも見えた手の汚れが絵の具だと分かるシーンは、初めて彼の「ルーティン」から外れた人間らしい部分に触れられた気がして温かい気持ちになるし、それをいじる藤原季節との関係性も含めて、笑いと悲しみが同居する複雑な状況が出来上がっている面白さがあって、上のシーンと共通している。
イルカの雲によって回収される、初めて娘と共鳴できるシーンのやるせなさ・後悔もすばらしい。自死した加害者のドライバーの母の言葉は明らかに彼を成長させて、元妻に謝ったり松坂桃李と対話できる素直さを手に入れたのだと思うけど、その時点ではあまりにも大きなものを失いすぎている。

そう考えるとやっぱりこの映画の魅力は主人公に尽きるんだろうと思う。実際、この映画を勧めている知り合いを何人か見かけたけど、その人たちがみんなすごくこの作品の古田新太と似ていて面白い。情に厚いけど敵にすると怖い、好戦的なようで実は寂しがり屋、という素直じゃない自分を彼に重ねるのかもしれないと思った。だから、自分とは真逆だけど、実際こういう人がいるというリアルな実感があったし、好きな映画ってその人をすごく反映しているなぁと感じた。

遺族のやるせなさ、偏向報道の恐ろしさ、という扱っている題材自体にそこまで真新しさはないのだけど、人の魅力と覚悟によっていい作品に仕上がっているんだろうなと思った。吉田監督は「どうしようもない人」を描くのがすごく上手い監督だけど、舞台設定もキャスティングも完璧だし、ハンディで撮られた生な芝居も圧巻だし、このセンシティブな作品を描ききる情熱がどこから生まれているのかがすごく気になった(自分だったら絶対に描けないし描こうとも思えないから)。
名優の芝居もさすがで、どうしてあんなスターたちがここまで見事に市井の人々を演じられるのかいまだにわからない。チャンス大城さんができるのは納得なんだけど、『あの頃』と言い松坂桃李すごいし、寺島しのぶの「善意押しつけおばさん」のしんどさとかリアルすぎる。

「空白」といえば万引きシーンの解釈の余地を残した描き方とかすごくうまい...だからこそ某ぬいぐるみシーンとの落差が生まれて、この作品に厚みを持たせている。『スリービルボード』に似た読後感があった。

*監督メモ
・唯一の理解者とも言える親友を5年前に亡くして「折り合いをつける」というテーマに関心を持っていたとのこと。
・そのときに昔みて気になっていた実際の事件「川崎少年万引き事件」を思い出したらしい。当事者全員が辛い事件として記憶と関心がつながったらしい。『すばらしき世界』にしても重圧な物語は現実が元になることが多い。
(http://www.onyx.dti.ne.jp/~sultan/colum101.html)
・漁師の設定にしたのは、今まで描いたことのない「海上」を舞台にしたかったことと、敬愛するキム・ギドクの『弓』が好きだからとのこと。埼玉出身のこともあって、キラキラした世界を描くよりも、郊外を描きたい思いが強い。
・片親の父と娘の物語を繰り返し描くのは、ご自身の父親が単身赴任で親戚くらいの感覚しかなかったのと、母親も病弱だったという自身の経験の反映とのこと。性別を女子に変えたのは「女の子になりたい」という欲が昔からあるかららしい。
・冒頭から大事件がある構成に関しては、「残酷すぎるくらいの不条理を経験しないと、希望の光に気がつけないから」という意図で、1:9くらいのバランスにしているらしい。だから戦争映画をみたときに「人って捨てたもんじゃないな」と思うような感覚が好きとのこと。
・スーパーには休みがなく、個人経営で借りれる場所を探したら、浜松になってしまったのこと。漁の規模も解禁時期も適切だった蒲郡で、『ゾッキ』チームの制作部とたまたま居合わせて紹介してもらったらしい。
・古田新太はソンガンホのイメージでキャスティング。圧倒的な存在感とリアリティ。
・寺島しのぶは台本作りの後半で登場。一対一よりも、こちらの代弁者がいて、しかもその代弁が間違っていると面白い。正義感の強要。
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