くわまんG

サイコ・ゴアマンのくわまんGのレビュー・感想・評価

サイコ・ゴアマン(2020年製作の映画)
5.0
あらすじ:嘘つきは全員くたばれ。今はそれでいいんだよ。

宇宙一の破壊者が、地球に住む風変わりな少女の支配下に!銀河のピンチか!?…というお話。

小学生の頃から、俺は行儀の良い連中が大嫌いだった。なぜならやつらは、言ってることとやってることが違っていたから。

例えば、「先生が話してる間は静かに!」と喚く女子。このイヌ共は、それが正しいと思ったからではなく、それを言えば教師が自分を評価するから声高にほざいたのだった。

例えば、学園祭で「みんなでやらなきゃ意味がない!」と非難がましく熱弁をふるう男子。このサル共は、協調性なんかどうでもよくて、可愛い女子の注目を集めたいだけだった。

例えば、感動を押し売りしてくるメディア。このブタ共は、表層的な共感で大衆に“一体感”という名の安心を与え、迎合しないマイノリティをゲス扱いするよう誘導してきた。

では、なぜ彼らは言ってることと違うことをやる(=嘘をつく)のか。なぜミスターチルドレンがクリトリックリスより、なぜセカチューが稲中より感動的とされるのか。

それは、意図的かどうかはさておき、彼らの目的が私利で、手段が詐欺だからだと、大学生時代のある日確信した。

前述の学生達の例で言うと、スクールカースト昇進による将来安泰が目的で、大衆扇動が手段(公衆の面前で誰かの評価を下げて自分の相対的地位を上げる)。メディアはというと、興行収入のみが目的で、大衆扇動が手段(感動が表層的でも当たり障りが無ければ批判しない国民性を利用)。

おそらく学生たちは、まず認められない経験をして、その再発を恐れたのだろう。もし最初の挫折で内省し、自分の根底にある劣等感や承認欲求の存在を受容出来ていた(もしくは大人がそう促していた)なら、他人に勝つより自分に克つ(=自分が正しいと思う行動をする)方が大事なことに気づくに至り、黙々とがんばる姿をかけがえのない誰かに認めてもらえたろうに。

おそらく配給会社は、過激な表現を責められて売り上げが落ちたケースを経験し、その再発を恐れたのだろう。もし、狭くとも深く現実とシンクロするような、作家性の強い尖った作品にも、市場に出る機会を均等に与えていたなら、希望に満ちた人生を取り戻すきっかけを、より多くの観客が得られたろうに。

とにかく俺は、そういった口当たりのいい欺瞞を断固拒絶する、ピュアなゲスとして覚醒した。嘘偽りなく共感してくれるのはロックンロールとその愛好家だけだったので、たくさんの同胞とバンド活動で青春を分かち合った。“クズの宿り木”というあだ名をつけられ、悦に入った。以後30歳頃まで、メインストリームに中指を突き立て続けた。彼らに助けられて生きているとも知らずに。

それから5年ほど、謝罪と禁欲の修行僧時代を経て、結婚やら出産やらで色々勉強させてもらって、今は人生史上最も静かな時間を送っている。愛と仕事のため、淡々としなやかに生きることを目標にして。

20歳までルーク(=指示待ち人間)で、30歳までミミ(=同じ価値観しか認めない人間)で、グレッグみたくぐうたらなロマンチストだったり、そのくせスーザンみたく保守的だったりした俺が、40前にしてサイコ・ゴアマンを観て感動するに至っている。どの時代も、必要な過程だったと思う。

振り返れば感謝ばかり。貴重な時間をくれた映画だった。