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タミー・フェイの瞳のtanayukiのレビュー・感想・評価

タミー・フェイの瞳(2021年製作の映画)
3.9
いんちきテレビ伝道師ジム・ベイカーとタミー・フェイによる宗教番組「PTLクラブ」が巻き起こした一連の騒動と転落の様子を、タミー・フェイの視点でまとめた作品。同名のドキュメンタリー映画が原作となっている。

「信じるものは救われる」という宗教によく見られる決まり文句は、裏を返せば、「信じないものは受け入れない=排除する」という排他的な仲間意識を強調しているわけで、離婚を忌避する閉鎖的なコミュニティのなかで連れ子として育ったタミーに実の母親からかけられる「呪いの言葉」がそのおそるべき排他性を代弁する。「我々」と「彼ら」を峻別する機能が宗教にはもともと備わっているので、コミュニティから排除されたものには過酷な運命が待ち受ける。排除された側のタミーが母親から与えられなかった愛を、排除の原因をつくった神に求めるしかなかったというのは、皮肉を通り越して不幸というほかない。

なぜかくも、ごく自然な人間性を頭から否定する宗教というものを、人は信じたがるのか。コントロールが効かなくなった欲望は、自分だけでなく、社会に害悪をもたらすから、どうにかしてそれを抑制する手段を手にする必要があった、というのは、人間が社会的な生き物であるという前提に立てば、一定の意味があるのかもしれないが、どんなにそれを抑えつけようとしても、あとからあとからとめどなく湧き出てくる人間の欲望に限りはなく、人間の欲望に限りがないから、人間はどんなときも新たな一歩、次の一歩を見つけ出してきた。

人類社会を俯瞰してみると、抑えきれなくなった欲望が周囲の環境やリソースを食い潰し、ブレーキをかけなければいけない時期と、抑制が効きすぎて社会から活力が失われ、停滞して、多くの人が自由を求めて立ち上がる時期が、交互に繰り返し訪れるように見える。行きすぎた戦争や権力闘争、バブルの狂乱に疲れたときは禁欲的な宗教や個人よりも集団を尊重する全体主義的傾向やミニマリストのような抑制的なものが求められ、そうしてできた社会がちょっとした息抜きを認めないほど不寛容で、個人の自由を抑圧し、ルールや前例にがんじがらめになって息苦しくなったときは、全体よりも個を優先するヒューマニズムや個人主義がもてはやされる。

宗教は人を救うというのは建前で、実態としては、人を抑圧する装置でしかないはずなんだけど、それを信じる人がこんなにもたくさんいるのはなぜなのか(2回目)。昔からずっと考えているのだけど、そういうのが好きな人が一定数いる、という以外に、適切な答えは見つからない。それを含めての、多様性なのだ。

だが、信仰を利用し、人の善意を悪用して私利私欲を肥やす輩まで許してやる必要はない。息を吐くように嘘をつく、というのは彼らのような人たちを指す言葉なのだろう。詐欺師になりたければ、まず自分自身が(少なくとも話しているその瞬間は)それを信じることが必要だ。騙そう騙そうと思って人を騙せるものじゃない。自分はいいことをしている。自分は間違っていない。これは神に与えられた使命だ。神は私たちの側にいる。言ってる側がそう信じきっているから、人はその話に耳を傾けるのだ。しかし、そう信じきっている人と、それを眉唾物だと思っている人が話し合いによって妥結点を探るのは、きわめてむずかしい。それは信念の問題だから。

ジェシカ・チャステインが執着したというタミーの見た目のインパクトと年齢を重ねるごとの変貌ぶり(ほっぺたに肉乗っけてるよね)とコミカルな演技もすごいが、毒親特有の嫌味とどこかとぼけた味わいが同居する母親役のチェリー・ジョーンズの不思議な演技も個人的にツボった。

→ 『タミー・フェイの瞳』──ジェシカ・チャステイン渾身の演技が絶賛に値する理由。 https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/the-eyes-of-tammy-faye-movie-review?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=onsite-share&utm_brand=vogue-jp&utm_social-type=earned @voguejpより

クリスチャンのためのディズニーランド(楽園USA)をつくるという野望実現のために信者から大金を巻き上げ、それを使い込み、税金を逃れ、その内実が暴かれて転落した夫婦の物語を、当のディズニーが配信するという皮肉。夢の国を維持するには、おおぜいの信者が必要だというところまでそっくりだね(爆)。

△2022/09/18 Apple TV鑑賞。スコア3.9

追記:
「我々」と「彼ら」を峻別する宗教が受け入れられる理由の1つに、「我々」の仲間に入れば「選ばれしもの」であり、選ばれなかった「彼ら」は「劣ったもの」である、というエセ優越感に浸れることがあげられるかもしれない。そんな優劣なんて「絵に描いた餅」にすぎないのに、選民思想はこれまでずっと人種差別を生み出してきた。絵に描いた餅をいくら食べ(ようとし)ても、お腹はいっぱいにならないよ。
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