酒についての映画は悲劇も喜劇も山ほどある。
悲劇のほうは、何しろ真正面からアルコール問題を描いた古典としても「失われた週末」や「酒とバラの日々」といった傑作があるし、「酒に溺れる。場合によってはそれで破滅する・死に至る」なんて描写は枚挙に暇がない。
喜劇のほうは、最近では「ハングオーバー!」シリーズが代表だろうか。ブラッドリー・クーパーの出世作だが、彼はのちにこれまた「酒で身を滅ぼす」悲劇の方の、3回目のリメイク版で主演・監督してましたね。
本作もまた酒に関する映画。
デンマーク語原題の"Druk"は、英語の"Drunk"にも似てると思ったら「暴飲」って意味なんですね。
英語のタイトルもいいですね。
“Another Round”
「もう一杯ずつだけ」
私も過去の上司にいましたよ。
「帰る前に、もう一杯ずつ頼みましょうか」と言いながら5ラウンドくらい飲むまで帰してくれない人が。
もっとも本作の「酒」は、依存の拠り所となる他のさまざまなものに置換可能なアイテムです。
それはドラッグでもいいし、ギャンブルでもいい。凝り過ぎた趣味でもいい。要するに社会生活を全うすることすら阻害してしまう、人生における制禦不能な「楽しみ」。本作は、それとの向き合いを描いている。
本作の序盤で「大丈夫。俺たちは酒をコントロールできているから」みたいな台詞がありましたが、これ、怖い台詞です。
コントロールしてるつもりがいつのまにかコントロールされちゃってる。
私にとっちゃあ、そのものズバリ映画がそうだもの。
それ自体が飯のタネである映画評論家なら別だけど、フツーにサラリーマンやってて、年間鑑賞数1000本越えってのは、最低限以外の社会生活を放棄しないとできないもんね。それくらい、私(たち)は映画に依存してるし、映画に支配されちゃってる。
いや。敷衍するのは止して、今日は「酒」にフォーカスしよう。
「置換可能なアイテム」と書いてはみたものの、やはり本作は「酒」についての映画ですもの。
本作は飲酒可能な年齢の人が観れば、どうやっても自分と酒の付き合い方の距離感を対比させちゃう。
その距離感がそのまま本作との距離感に直結してしまう。
私ゃ、全然他人事じゃなかった。もう、ずっと怖かったですよ。
何しろ私は、「新久里浜式アルコール症スクリーニングテスト」で7点を叩き出す人間。えっと、久里浜式テストって、アルコール依存症のセルフチェックで、4点以上は依存症の可能性が高いってやつです。ググれば、即座に判定してくれるサイトがいっぱいありますよ。7点は相当なものなのです。
そんでもって、離婚前はex-wifeに病院に連れていかされて、処方されたシアナマイドを飲み続けてた経験もある。
シアマナイド。これ、「青の炎」でニーノが継父に飲ませて完全犯罪を企んだ薬です。シアナマイドを投与されてる人間がアルコールを摂取すると、激しい頭痛を引き起こす。それによって、「負の報酬系」を確立して、断酒させるのがシアマナイドの効用なのです。
ま、私は飲むふりしてこっそり流しに捨てたりもしてたけど。
私は中島らも大先生の「今夜すべてのバーで」(←日本のアル中小説の大傑作)を若い頃に読んで、「こうはなるまい」と思ってたのに、そうなっちゃった人間なんだよね。
そうそう。うちの祖父ちゃんもアル中でした。婆ちゃんの目を盗んで、山荘(我が家は決して裕福ではなかったが、何故か山荘を所有してたんだよ!)に泊まりに行っては酒をかっ喰らって寝るという生活を続けてたら、私が5歳の冬に、酔っぱらってもぐりこんだ電気炬燵のショートから発火して、山荘ごと燃え尽きて焼死したという、「それ、どこの『アッシャー家』やねん!」っていうパンクな人だった。
例によって本日も、酒を呷りながらレビューを書いてますですよ。
でもね。大丈夫。私はちゃんと自分で酒をコントロルーしながら、文章も綴れてるから。
何の話だっけ。
そうそう。
本作の主人公たちの行動は、酒でしくじった経験が多い身としては、ほんとにハラハラする。
もちろん、基本フォーマットとして、前半は楽しいの。
(前半と言えば、「1=ルーズベルト、2=チャーチル、3=ヒトラー」のクイズは種明かしされる前に気づきましたよ)
でも、だから基本フォーマットとして、後半に最悪な事態が起こることが予想されるので、ずっと怯えながら観てました。
するとさ、確かに最悪な事態は起こるんだけど、それこそ着地は「酒バラ」みたいなところにはいかないの。
ヘイズコード時代のアメリカと、現代デンマークの違いなんでしょうか。
本作の最後に「デンマークでは酒は16歳以上で購入可能です」って出る。調べてみたら、「我が国は、これじゃいかん!」ってんで、度数の高い酒に限っては「18歳以上購入可能」に法改正したらしいんだけれど、どっちにしても日本じゃ未成年じゃん!
昔から日本は飲酒天国って言われてるけど、デンマークはそれ以上なんだね。
だから、ハリウッド式教条主義で、「酒はダメ!」って着地にしても、何ら実効性がないので、この着地(最後は「止め画」になってるんで、「文字通りの着地」は見せないってところが粋でしたね!)になってるんでしょうね。
(それは、エンドクレジットで「アイダに捧ぐ」と書かれた監督の娘さんで、不慮の事故で亡くなった、本作に出演するはずだったアイダさんが「オプティミスティックな映画にしてほしい」と再三頼んだって背景が大きいんでしょうけれど)
だからさ。
本作に教条主義的な教訓を求めようとした私はかなり困惑したわけです。
確かに最悪なことは起こる。でも、それは全員に降りかかるわけじゃなく、たまたま籤運が悪かった人にだけ起こる。
ゆえに、観終わって冒頭から振り返っても、「じゃあ、アルコールの功罪のうち、『功』のほうが優れてるじゃん!」とか思っちゃったわけ。一人だけ不運な体育の先生だって、細く長く生きるより、太く短く生きて、人々の記憶に残る方が幸せだったじゃん! とか思っちゃったのですよ。あの子供たちの斉唱の美しいこと!
そんでもって、最後はまさにフェリーニ的な祝祭空間で終わるわけでしょ?
マッツ・ミケルセンさん、元はダンサーもしてたけど、何十年も踊ってなかったらしくって、でもあの飛翔感、最高じゃん!
じゃあ、あの後海に落ちて死ぬにしても、ミドルエイジ・クライシスを克服するにしても、どっちにしても最高の人生じゃん! って感じチャトランったなんです。(←それは猫!)
(あれ? マッツ・ミケルセンだっけ? ミッツ・マケルセンだっけ?)
(あと、シアナマイドだっけ? シアマナイドだっけ?)
だから、本作はミニつまされると同時に、鮭に依っててもいいじゃん! と不思議なkん覚におsわれる映gでした。
鮭じゃないな。けきょくの所、途中でデテきた「新鮮なタラ」ってどおなったん?!
うん。大丈夫。
けふも酒を煽りながらレビーを書いたけれど、今のとkろ、まだまだ渡しはjiぶんで酒をコトンロールできたるもんんね!!!
くぁwせdrftgyふじこlp