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スパイの妻のefnのレビュー・感想・評価

スパイの妻(2020年製作の映画)
4.1
 裏返しのCURE、あるいはカリスマ。大日本帝国でサイコサスペンスを展開すればどうなるか、という映画なのだけれどサイコなことは何も起こらない。そして起こらないから面白い。
 それは当然のことで、大日本帝国では世界の終わりは向こうからやってくる。催眠術師が殺せと命令しなくても大陸では人体実験が行われ、それを少しでも書き留めれば売国奴と罵られ爪を剥がされ精神病送りとなる。白トビまみれの石井部隊の記録映画もただ記録されているだけなのに演出になってしまっている。(もちろん劇中のリアリティラインに合わせているから虚構的ではある。というかCURE以来初の黒沢風記録映画だよね)陸軍中野学校の真似事をやっているだけでもそれはサスペンスになってしまうのだ。
 ではなぜバスやカーテンで覆われた屋敷の窓が真っ白な時の部屋になっているのかというと、そこが帝国から隔離されているからだ。CUREで役所広司が望んだ”ここではないどこか他の世界が”この作品では”内”にある。本来は狂気の巣窟である精神病院でさえ安らぎの場所と化している。表現すべき狂気のない昭和十年代にあって、狂気は現実=戦争と相対化されるのだ。
 この映画は大東亜戦争の精神性を内側から抉り、同時に映画的な虚構が戦争に対してどれだけ耐えられるのか試している。こんなふざけたものは見たことがない。圧巻だ。
 ただしやっかいな問題がある。軍服や軍の隊列に違和感を持たない人間、憲兵の所業に予め知識のない鑑賞者にはその逆説が伝わりにくい。所謂朝ドラや70年代から延々と量産されている反戦映画の文脈をさえぎる形でこの映画は成立しているから、素直に歴史映画として鑑賞すれば裏切られてしまうだろう。
 問題を抱えた映画ではあるが、個人的には大満足。メタな表現が好きで反戦邦画に違和感を持っている人にこそ観てほしい作品(いるのか?)
 他にも導入の陸軍の隊列のトラッキングショットが軍による市民の生活の停止→再会になっていたり、最初の憲兵の警告がいい感じに溝口風額縁構図になっているのもよかった。たぶんそれを意識してのことだろうけど、途中に溝口の名前が出たり、戦時の表現として山中貞雄が上映されたりしているのも面白い。ウィスキーは小津だろうか。
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