スパイダーマンとは何なのか?を考察するシリーズ第2弾。
マルチバースを流行らせたスパイダーバース第1作から「ノー・ウェイ・ホーム」が現れ、MCUまでマルチして.たった数年で何1つ新鮮味のない設定となってしまった。
しかし元祖の意地を見せ、驚異的に面倒くさそうなビジュアルをより複雑にしながらも、スパイダーマンとは何ぞや?という哲学的命題をノー・ウェイ・ホーム以上に繰り出してくる。
大切な人を失うという運命を必ず味わうのがスパイダーマンなのだが、それ以上に未熟な子どもが保護者と社会の間に挟まれて葛藤しながら成長するという誰でも共感する青春ストーリーがキモ。
そこで行くとマイルスとグウェンは正にスパイダーマンたる所以の体現者。その他の大人のスパイダーマンはもう完成した大人で官僚的なのでスパイダーマンと似て非なる者。
ライミ版スパイダーマン3のキャチコピーは「最強の敵、それは自分」だったのだが、それを再現かつ進化させてきたのが驚き。そうスパイダーマンは自己の内的葛藤が具現化した存在がヴィランにならなければならないので、大人スパイダーマンと悪の自分が立ちはだからないといけないのだ。よく分かってる。
毎回、十字架に磔にされたポーズで人々を救済するスパイダーマンは明らかにキリストのメタファーであり、現代にキリストが存在しうるのかを考察するシリーズだと思うのだが、世界を救うには誰一人として見捨てないことこそが救世主なのだと本作も説く。
父と子の話でもあり親としての在り方まで説いて、クリフハンガーで終わりるところがニクイ。
もはや結末よりも次回作にレオパルドンが出るのがだけが1番気になるところ。もちろん東映スパイダーマッも出てくれるって信じてる。