空海花

水俣曼荼羅の空海花のレビュー・感想・評価

水俣曼荼羅(2020年製作の映画)
5.0
『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督が
水俣病にフォーカスしたドキュメンタリー。
今なお補償をめぐり国・県との裁判が続く患者たちを描き20年の歳月をかけて製作。
第22回東京フィルメックス特別招待作品。
さながら密教の曼荼羅のように水俣で生きる人々の人生と物語を顕した、
3部構成372分の一大叙事詩。
トークショー×Q&A×サイン会あり。

語り過ぎかもですが、ドキュメンタリーでしかも元々長いのでお許しを🙇

第1部「病像論を糾す」
川上裁判により初めて国が患者認定制度の基準としてきた末梢神経説。
これが否定され、脳の中枢神経説が新たに採用された。
だが、それを実証した熊大医学部浴野教授は孤立無援の立場に追いやられ、国も県も判決を無視し、方針を変えない。
環境大臣時代の小池百合子の謝罪も虚しく聞こえるだけ。
死後の脳の検体の申し出を受けて、はしゃぐように喜ぶ(専門は解剖らしい)浴野教授の明るさに救われる。
脳を包丁とまな板でカットするのには眩暈を覚えたが
脳には顕著に表れ、CTやPETでも一目瞭然。
視覚野とか聴覚野が侵されると、見て聞いた時に相手の話していることがよくわからないということが起きる。
(だから自覚がないこともある)
印象的だったのは浴野教授の
「将来的にメチル水銀が世界中で増えていくと、人と人のコミュニケーションが難しくなる。討論ができなくなって、その後のまとめることもできなくなって、民主主義が成り立たなくなる」
見た目普通でも脳があんなにやられている。脳がやられてもおかしくなる訳ではない。それを聞くとそれがどんなに大変な問題かわかると思う。

第2部「時の堆積」
小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程、
胎児性水俣病患者とその家族の長年にわたる葛藤、
90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に賭ける川上さんの最後の闘いなどを追う。
初夜について何度も聞く原さんがおかしい。
生駒さんは結婚できた嬉しさがいっぱい過ぎて、それどころじゃなかったというのが微笑ましすぎる。
それ以上は聞かなかったと、後のトークショーで語られた。
裁判が不利になると認定してくるというあからさまな対応が腹立たしい。

第3部「悶え神」
胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの人恋しさと切なさ。
センチメンタルジャーニーを提案する原さんの発想!(このエピソードだけで撮影に3年かかっている)
彼女の作った歌の歌詞には過激な箇所があり、その意味を思い共感した。
患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん。
長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力、
水俣病の患者に寄り添い、水俣の魂の再生を希求する作家・石牟礼道子さんなどを取り上げる。
“寄り添って泣く”
患者団体から飛び交う怒声に心が痛む。
だがその痛みを嘆いている場合ではない。

怒濤の372分(休憩2回)
トークショーは予定の1時間を軽く上回り、体力的には相当限界だったが濃密で有意義な時間。
都内大手の場所では味わえない貴重な時間である。
裏話やタブーな話も聞けたし
作品自体も『MINAMATA』では運動初期の周知だけであり、脚色も多いが
その後の患者家族の暮らし、一人一人の輝き、明るさ、生きる力をしっかりとここに感じ取れた思いがする。
何より苦難を乗り越えた人々が愛くるしく、魅力的に描かれていて引き込まれる。
多くの信頼を得たからこその映像という証明だ。
水俣の美しい海、射し込まれる写真や音楽も良い。
終幕のカットも映画的美意識の高いシーンで終わる。
タイトルもこの上なく良い。
まだまだ続く裁判を支援するためにも
多くの人に観てもらわなければならない。


以下トークショーより

原さんは『ゆきゆきて、神軍』からもわかる通り、“過激な人物”を撮りたかった。
しかし奥崎さんを超える人は10年現れず、そこで悩み絶望するのにまた10年かかった。
そんな時に水俣をやってみないかと声がかけられた。

“普通の人”を撮って、面白いのかな?
という命題がつきまとう。
どうしても奥崎さんと比べてしまう。
普通の人ならどういう描き方をしたら面白いのかを考える。
水俣については土本監督の頃とはもう違い、劇症型の人は死に絶えており、一時期のエネルギーはもうない。
だから水俣のいわゆる有名人に会いに行くのはやめて、出会ってこの人のこういうエピソードがいいと思ったものだけを撮ろうとした。
普通だけど魅力的な人に何人か出てもらうことが大切と考えた。
「映画とは人間の感情を描くもの」(今村昌平)を大命題とする。
普通の人の感情を描くには、ピークの周囲を丁寧に描くことが重要。
ドキュメンタリーとはそういう作業。
個々の物語、感情のひだひだを描きたい。
だからどうしても長くなってしまう。

水俣ではこの問題の話はタブー化されている。
市民は患者には冷たい。
なぜかというと海岸沿いに住む被害者たちは、対岸の天草から来た人達が多く、地元民というよりよそ者という意識の方が強い。
『MINAMATA』が日本で撮れなかった訳だと思った。

土本さんの水俣は先発ピッチャー、
自身は中継ぎと考えている。
描ききれなかった箇所はまだあり、この課題を託したい。
後は後発、クローザーに委ねたい思いがあるそうだ。

日本の共同体が持つ闇の部分を、いつかきっちりと描きたい。
この人ならという思いが湧く。
それは私もぜひとも観てみたい。


2021レビュー#222
2021鑑賞No.459/劇場鑑賞#96


私に減点はできない。
ただ長いのが辛いだけ。
身体が痛くなるの😂
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