この時代の化学者に現代はどう写るのだろう
戦後の経済成長、テクノロジーの進化は凄まじく、間違いなく社会は良くなりました。これからも発展は続くでしょう。
修のように純粋に「なぜ?」を追い求めた化学者たちが、今までにないものを作り続けてくれるでしょう。それは私たちの生活を変えてしまうほどの力を秘めているかもしれません。これ大丈夫かなと思っても、使用を制限するのは使う側の権利の侵害だからといって規制がされないこともあるでしょう。
そうなると、私たちは今まで想像することもできなかったことについて判断を下さなければいけなくなります。出生前診断や脳死はその例に当たると思います。
でも、テクノロジーの進化は凄まじくても、自分たちの心はそのスピードでは進化してくれません。戦時中の人々はどんなに苦しく傷ついていても、感情を置き去りにし「今はそれどころじゃない」と口をつぐみました。
現代を生きる私たちは、一人一人が生命や倫理に触れる判断をしなければならないのかもしれません。
化学の進歩を止めるわけにはいかないと思います。でも、私たちにはそれを使う覚悟や心はあるのでしょうか。どんなに素晴らしい技術も使い方次第ということを忘れてはならない、そのことを教えてくれている気がしました。