アニマル泉

愛のまなざしをのアニマル泉のレビュー・感想・評価

愛のまなざしを(2020年製作の映画)
4.5
万田邦敏の最新作。愛と狂気の映画だ。精神科医の貴志(仲村トオル)亡き妻・薫(中村ゆり)貴志を誘惑する綾子(杉野希妃)、貴志は薫の亡霊に取り憑かれ、綾子は嫉妬に燃え上がり、薫も狂っていた事実が明らかになっていく。3人とも狂っている。万田はトンネル、外光を遮断した診察室、トンネルの絵など閉鎖空間にこだわる。オープンシーンも曇りや夕暮れで光が燦燦と輝くことはない。冒頭にテロップで表示されるように本作は「手」の映画である。死んだ薫は主に「声」のみで存在するのだが、突然死んだ薫の手が貴志の背中にインして触る、肩に触る、この「手」のショットが本作の核である。まさにブレッソン的であり、ゴダール的だ。さらに本作の白眉は綾子に薫が乗り移り、さらに貴志に乗り移り、貴志と綾子が同期して薫の言葉を喋り出す場面だ。この官能にはゾクッとした。しかし本作にはいくつか難点もある。
①エロスが足りない。3人のセリフが同期する官能は素晴らしかったがそこだけだった。愛と狂気を描くにはエロスが必須である。理屈や説明が無効の領域だからだ。思うに貴志はルルーシュの「男と女」のアヌーク・エーメのように性的不能に陥っているのではないか?貴志が綾子の身体を抱く場面はあるが、その後はオフで描かれない。貴志は勃起不全なのではないのだろうか?ベッドシーンはオンにすべきだったと思う。貴志は薫を忘れられないと綾子の前で苦悶して泣くのだが、そんな説明よりはエロスで描いて欲しかった。ラストの包丁も、男根のあからさまな象徴にしか見えない。綾子はその包丁=男根を自らの手で導く。一度目は外れて、二度目に刺す=挿入して果てる。このくだりは、リフレインされて強調される。もちろん貴志に殺意があったのかという流れの中での表現にはなっているのだが、包丁=男根、殺人=勃起=SEXを万田は確信犯で描いている。ならば刺されて果てる綾子のエクスタシーと歓喜の表情を衒いなくアップで撮って欲しかった。本作はエロスをオフるのではなく全面に出すべきだった。
②動きが段取り臭い。パンフレットの濱口竜介との対談で万田は意識的に役者を動かしたと話しているが裏目になった。段取りっぽくてチープだ。劇伴奏も説明的に盛り上げるのは無防備過ぎる。
③息子・祐樹(藤原大祐)の描き方が中途半端だ。貴志は薫を思い出すから裕樹を見るのが辛いという。これはあんまりではないか?子供とは「自分の命と引き換えにしても構わない、かけがえのない存在」である。息子を登場させるからには、ここは踏まえないと本作は理解不能になってしまうと思う。

ラストで貴志の肩から薫の「手」が消える。代わりに綾子が微笑む。しかし貴志はいまだ出口が見えないトンネルの中にいる。ブニュエルの「エル」のように貴志はいまだ狂気の迷路の中にいるままだ。
アニマル泉

アニマル泉