アニマル泉

エル・スールのアニマル泉のレビュー・感想・評価

エル・スール(1982年製作の映画)
5.0
ビクトル・エリセの10年ぶりの長編第2作。エリセによると、本来は北部を舞台とする第1部と南部を舞台とする第2部で構成される2時間半の大作が構想されていたのが資金難のために第一部のみで断念した未完の作品だという。「エル・スール(南)」という題名ながら南が一切描かれない。それにも関わらず本作は映画の至福に満ちた傑作である。
本作はおびただしい「円」の主題と「直線」の運動で構築されている。「円」の主題は、まずは父親アグスティン(オメロ・アントヌッティ)がエストレーニャ(ソンソーレス・アラングレン)に教える振り子の円環運動だ。父が水源を探索する時のコイン、エストレーニャが父の秘密の屋根裏部屋を覗いた時に階段を落下するボール、父のバイク、帽子、聖体拝受のパン、母親フリア(ローラ・カルドナ)とエストレーニャが巻く赤い毛玉、エストレーニャが子供から少女(イシアル・ボリャイン)に鮮やかに代わる場面の自転車、そして圧巻は父とエストレーニャが踊る円環である。そもそも父の顔が丸顔であり、本作の構造が冒頭の父の失踪から始まり、その謎を回想していく円環構造になっている。
対称的に本作は、縦構図の道や廊下や階段を奥へ、手前へ、ひたすら直線運動を重ねる。「円」と「直線」が本作をスリリングに彩っている。
本作で忘れがたいのが「窓」だ。父とエストレーニャの重要な2つの場面は印象的な「窓」を介している。1つはカフェの窓際にいる父を見つけてエストレーニャがガラス窓を叩く場面、カメラはドンデンに室内からのショットに切り替わり、座る父と窓ごしのエストレーニャになる、そのまま父がフレームアウトして、窓ごしにフレームインして父とエストレーニャの美しい窓ごしのツーショットになる。本作の白眉のショットだ。感涙した。2つめは父が写真屋のショーウィンドウに飾られたエストレーニャの写真を見る場面だ。ガラスごしの父、エストレーニャの写真、隠れて見ているエストレーニャ本人、二人は直線顔を見合わせないのだがガラスを介して見事な視線劇になっている。窓ごしに撮る天才といえば、エルンスト・ルビッチとジョン・フォードである。エリセは巨匠たちの至芸をしっかり引き継いでいる。父とエストレーニャの最後の場面、誰もいないカフェの奥で二人が食事をしている、隣の宴会場からオフで結婚披露宴の華やかな音が聞こえている、エストレーニャに答えられない父はコーヒーカップにワイングラスを注ぐ、ここも円だ、披露宴から父とエストレーニャが踊った懐かしい曲が流れくる、カメラは初めて隣の披露宴を描く、円環で踊る新郎新婦、ここで窓ガラスごしのエストレーニャのアップだ。エリセの決定的ショットは窓ガラスごしである。そしてこのクライマックスの「円」と「窓」の連打に圧倒された。
「光」が繊細だ。冒頭の窓からの光で徐々に見えてくる夜明けの室内、蝋燭、エリセの設計が素晴らしい。カメラを同ポジションで灯りが点いたり、夜が明けたり、時間経過を作っている。
「夜」が素晴らしい。エストレーニャが歩く夜の街、映画館、舗道が艶かしく濡れて反射している、エリセがハリウッドの技法をしっかり受け継いでいてさすがだ。
劇内映画も素晴らしかった。見事なフィルム・ノワールだ。ノワール調の陰影の深い照明、投げるマッチ、発砲、割れる鏡。エリセがハリウッド映画をいかに愛しているかよく判る。
本作は「音」の映画である。冒頭は寝起きのエストレーニャを描くだけで全てはオフの音で何やらただならぬ事が起きた事を描く。聖体拝受の朝の銃声、父が床をステッキで叩く音、映像で描かずに音で雄弁に観客に想像させる。
エストレーニャがベッド下に隠れる場面、ベッド下のエストレーニャのアップとベッド下からの見た目の足だけで描くシンプルさ、研ぎ澄まされている。これは反ハリウッドのモンタージュだ。あらゆる映画史を超えるエリセの底深さが怖ろしくなる。
アニマル泉

アニマル泉