『シックス・センス』(1999)のナイト・シャマラン監督作品。
海岸に美女らしき姿を、俯瞰から捉えて、脚線美と骸、更には、麦わら帽子のつばが無限に続くかの、騙し絵的なポスターが、際立って印象的である。
南国の孤島、クローズド・サークルで行われる連続殺人。『シックス・センス』の脚本・監督さんであり、当然に工夫やトリックが有る筈なのだから、アガサ・クリスティ原作のルネ・クレール監督作品『そして誰もいなくなった』(1945)みたいに、楽しんだ。
海岸の登場人物も、丁度12名程度だったので、全員が殺される展開とかを期待して。
実際は、フーダニット物じゃなくて、倒叙ミステリー映画であったわけだけど、この設定とトリックは現実離れはしているけれども、整合性はあり嫌いでは無い。
俯瞰的視点からの、冷徹な観察は、ヒッチコックの『裏窓』(1954)を彷彿とさせるが、この作品を評価するに当たって、『鳥』(1963)的なものの再現を取り上げたい。
ヒッチコックの『鳥』。鳥が何の理由もなく人々を襲ってくるという、不条理な不気味さ。そして、その今まで無かった設定による、初めて観ることになる映像の興奮。空中の鳥、その鳥から空中の移動撮影をして別の鳥を映す。下にいる人々に襲いかかる。戦闘機のように。
本作『オールド』においては、同じく時間が激しい速さで経過していくという、SF的な設定を、南洋の風光明媚な孤島で行った。夕暮れの波、母が亡くなり、寄せ返す波を映せば、父が亡くなっている、立ち尽くす兄妹という、非情でかつ詩的でもある、独創的な映像。溝口健二の映画の様な人生の哀感。
他にも、この設定を生かして、今まで観たことが無い映像が観れて、眼福であった。
芸術的な描写が多かったので、ジェーン・カンピオン監督『ピアノ・レッスン』(1993)並みの海岸の芳香を感じ、謎で終わる展開でも、楽しめたであろう。
しかし、ナイト・シャマラン監督は、力業で合理的な結末を与えるという、作家性を発揮する。好ましいと思う。
謎のままでも終わってもいいのだが、犯人に近い者が、敢えて被害者たちに、暗号を与えるという、メタな構成。
あと、ナイト・シャマラン監督は映画狂だと思うので、
美女崩壊には、『サスペリア』(2018)
脱出の勇気には、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)
ラストの姿には、『パピヨン』(1973)
ラストの余韻は、『太陽がいっぱい』(1960)
の風味を強く感じましたよ(^.^)♪