このレビューはネタバレを含みます
ドラマ。
村上春樹「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」や、
アントン・チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」の台詞を織り交ぜた。
「道」はよく「人生」に喩えられる。
また、「車」は「移動する家」として本性が出やすいものとして、心理学などで用いられる。
今作は「現代のコミュニケーション不足」をうまく描いている。
親しくなれば自身の「思い描く他者」が存在してくる。
例えば「彼女はああいう性格だから」など。
その「信頼関係」が仇となり、「後悔」が連鎖する。
言語、視線、手話、タバコ、劇によるキャラクターを通すコミュニケーションなど。
コミュニケーション手段は「会話」以外にもあるはずなのに、それすら怠り、「本当の私はそんな人じゃない!」と叫んでいるにも関わらず、
見て見ぬふりをする。
その「叫び」は時には劇中の台詞や出来上がった脚本の一節や過去の体験に現れるが、間接的すぎて気づかない。
会話が物語を進ませるが、
(日本ドラマによくある)「状況説明台詞」ではなく、
彼らの「感情台詞」が物語を進めていく。
家福(西島秀俊)の父性愛に触れ、観てみたかった舞台を観て、
家庭を見て、言語に触れ、
たくさんの「幸福」を間近で感じてきた みさき(三浦透子)は
彼らの一部を切り取ったかのような生活を真似始めたのか。
終わらせたくなかったのか、盗んだのか、
はたまた成りたかったのか。