このレビューはネタバレを含みます
40代の主人公(佐藤)が、記憶を遡り20代の頃へと戻って行くお話。
時間を遡る物語といえば、イ・チャンドン監督の「ペパーミントキャンディ」やギャスパー・ノエ監督の「アレックス」などがありますが、それらは共通して汚れた現在からまだピュアだった自分へと帰る軌跡を描くものでした。
この作品も主人公が自分のピュアだった時代に戻る物語ではありますが、ただ現在の自分を否定し、過去のピュアな自分を肯定しているのではなく、40代半ばになった主人公が原点に帰り「自分はどんな大人になったのか…」を再確認する物語となっています。
「将来、自分はどんな大人になっているだろう?」
「今の自分は昔思い描いてた自分なのだろうか?」
20代の自分は自分の将来を想像し、40代の自分はあの頃の自分を振り返る。そこにいつも想い浮かぶのは、かおりの「普通」という言葉。恋人だったかおりは普通(=一般的)を嫌い、オリジナル(=個性)の中に価値を見いだす人でした。
そんなかおりの影響からか、佐藤は自分の人生から「普通」を遠ざけようとします。
それはかおりが望む自分。
最初はその思いで自分らしさを作っていましたが、いつしかそれも言い訳となり、思い通りにならない現状からの逃げ道として「普通は嫌だ」という言葉を使うようになります。
言い訳の多い人生です。
「普通」を受け入れていたら自分も普通の大人になっていたのだろうか? そもそも普通って何なのだろうか?
「普通」に抗い「普通」を避けて通って来ても、本当の自分は何者でもない「普通」な男。それはかおりに出会うまでの自分。彼女に「好き」と言われるまでは、僕は「普通」に生きてきた。
世間知らず、怖いもの知らず、経験不足、無知な自分。
社会に出て右も左も分からず、何も分かっていなかったあの頃。自分の"好き"が誰かの"好き"と重なる不思議に驚き、そして君が僕を好きでいてくれる奇跡に胸を躍らせてしまう。
君の"好き"という言葉が愛おしくて、僕の好きが君に届いて嬉しくて。君に話たら「普通」だと言って笑われるかも知れないけど、尾崎豊の「I LOVE YOU」のピュアな世界観のように、崇高で透き通った愛が自分の中で沸き起こるこの感覚。この瞬間が永遠に続くと信じていたあの頃…
そんな"あの頃"に戻る原点回帰の物語
ただこれは、原点に帰って「あの頃はピュアだったなぁ」と懐かしんでいるだけの物語ではないんですよね。"あの頃"の戻ってもう一度自分に問い直してみるんです。
「僕はどんな大人になったんだろう」って。
過去を遡る間、たくさんの出会いと別れがあり、その中で世間を知り、怖さを知り、恥を知り、いろんな経験を積み重ねている自分が居ます。
"どんな大人"ってのもそうなんですが、"どんな自分"になれたかというのは、結局は"どんな人たちに出会えたのか"ってことなんだと思います。
かおりは佐藤に中島らもの小説の話をしました。
「主人公が電算機で来る日も来る日も他人の原稿を打ち込む仕事をしている。彼は何年もずっと一人で写植を打ち込み、自分の意思とは関係のない文字をただ打ち込んでいく。ある日クスリをキメた状態で主人公が電算機に向かうのだが、寝てしまい、朝になって気がつくと、小説が一冊出来上がっていた」という話。
この「来る日も来る日も他人の原稿を打ち込む仕事」っていうのは、この長い人生の中で、数えきれないくらいに触れ合った、人々や会話のことを指しているように感じられます。
主人公が記憶を辿るなか、走馬灯のように駆け抜けて行った人や言葉の数々。そこには出会いがあり、そして別れもあり、自分の価値観を変える言葉があったりしました。その一期一会で触れた一つ一つの思い出たちは、今の自分を築き上げてくれた大切な存在です。
きっと"今の自分"とは、これまでの出会いや別れ、そして言葉たちによって紡ぎ出された一冊の小説なのではないのでしょうか…
「ボクは大人になれなかった」
でも、それが分かるくらいの大人にはなれた気がする…
そんな風に"僕"という存在を再確認させてくれる、とても素敵な作品でした。
それにしても森山未來さんの役作りは見事でしたね。現在37歳の彼が40代半ばから20代前半を演じ分けているのはただただ凄い。そして伊藤沙莉さんの演技も素晴らしかった。役者魂と役者魂のぶつかり合いを見せつけてくれた最高の作品です。他の役者さんの演技も素敵だったなぁ。