いわゆる「群像劇」は、登場人物個々のストーリーが互いに交差していく様を描くことが多い。
しかし、この映画は個々ではなく、あくまで「一塊の群れ」として描かれていて、キャラクター個別のストーリーはほとんど触れられない。
集団として1つのストーリーを描くのは難しいが「共有された強い事実」をもって、群像そのものを描くことに成功している。
「共有された事実」で集団を描く構図は、スポーツものにも似ているが、本作には喪失感や空虚感も織り混ざっていて好みだった。
ところで、
リアリティを濁せるのが、映画の醍醐味の一つだと思う。
この手の現実味と非現実味を織り交ぜた作品は「感情のリアリティ」がより大事だ。感情まで非現実的だったら、観客は何を信じたらいいのか分からなくなる。
人間は受け入れられない感情を簡単に表出することができない。
悲しさを顔に出せるのは、悲しさを受け入れているか、悲しんでいると人に知らせたい時だ。
そのような意味で、ぼくはこの映画の感情表出にところどころ違和感を感じた。
たとえば、
受け入れ難い衝撃的な事実を知らされた時、すぐに誰かに電話したり膝から崩れ落ちたりできるだろうか。
大学の合格発表のような、あらかじめ予測できるケースならまだしも、急にメールで事実が告げられても、しばらくただ呆然とするくらいしかできないのではないか。
披露宴から二次会までの、間延びした3時間を描くなど、構成の面白い作品だったので、願わくば感情表出のリアルさがもうすこしあったら、よりいいなと思った。