シリアルキラーものは、対峙する側の負担が大きい。
『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスの伝説的な名演は、ジョディ・フォスターの「受け」あってのものだ。
なぜ、負担が大きいか。
シリアルキラーは変わらないからだ。
作品を通して行動原理が一貫している。
チャッキーがいちいち心打たれてたら、なんの怖さもないだろう。
その分、受ける側はより自然な変化が要求される。
『キャラクター』も、菅田将暉の変化がなければ何の共感性もない映画だ。
迷い、葛藤し、望み、飢えた男、山城を通じて、僕らはこの映画に共感する。
怖く、美しい世界の中で、たった1人俗世間的な役割を演じる。引っ張られてはいけない。
FUKASEの映画初出演とは思えない快演が光るのも、彼の「受け」あってのものなのだ。
動画では1番怖かった以外なシーンについて、話をしてます。もし良かったら。
https://youtu.be/eslgWIAAe70