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独裁者とクリスマスプレゼントのdm10foreverのレビュー・感想・評価

3.9
【「歴史が動いた日」の前日】

タイトルの「独裁者」と「クリスマスプレゼント」という相反する世界観のワードからして、僕の好物な「シュールな展開」と想像。

これは、ある意味笑うに笑えない「超絶ブラック」なコメディとも言える。
まさに「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である」という一言に尽きる作品。

舞台は1989年12月20日のルーマニア。
実は日にちについては特に作中では触れられてはいないけど、クライマックスで「明日の集会には正装で集合」という伝言と、翌日の集会の模様を紹介するテレビの音声で「今日は12月21日~」と言っている事からも推察出来る。

では何故その日なのか?

それは半世紀もの間、ルーマニアを恐怖政治で支配した独裁者ニック=ニコラエ・チャウシェスク大統領の失脚の契機になった「ルーマニア革命」が起きた日こそが「12月21日」なのである。
そしてこの物語では、その前日のある家族の「クリスマスプレゼント」を巡る悲喜こもごもが「サスペンス仕立て」で描かれている。

心優しいマリウス君(7歳)は、ちょっと気難しいお父さんと優しいお母さんとの3人暮らし。
家庭自体は決して裕福とは言えなくても、彼は大好きなお父さんとお母さんとの生活が幸せだった。
そんな家族にもうすぐ訪れる「1989年のクリスマス」。
優しいマリウス君はサンタさんにお手紙を書いて願いを伝える。
「僕は機関車のおもちゃが欲しいです。お母さんには新しいバッグを下さい。そしてお父さんには・・・」

マリウス君はお父さんが一番欲しいものをサンタさんにお願いした。

それは『独裁者の死』。

恐らくお父さんが恐怖政治に怯えながら、夜な夜な奥さんと「もうこんな生活・・・」と愚痴っていただろう事は想像できる。そしてマリウス君は純粋にそれを「お父さんの願い」と信じていたという事も。

そして、しっかり者のマリウス君。
7歳になって行動範囲も広がって自分で町のポストまで一人で行って投函出来るようになってたのね~。
「や~こんなに大きくなってぇ・・・」と目を細めている場合ではない。
何故なら「指導者の死」を望むことは『反体制思想の持ち主』に認定され一生投獄の身を意味するのである。

クリスマス前の幸せな雰囲気だった家族を一瞬にして絶望が襲う。
マリウス君は悪いことをしたわけではないのに、お父さんは激おこ状態。

「書いたのか?本当に書いたのか?何て書いたんだ?正確に教えてみろ!このクソがき!」
正気が保てなくてどんどん口調が荒くなる父さん。

考えてみれば、子供の頃のクリスマスって、ある意味誕生日よりも待ち遠しかった気がする。
自分だけの誕生日と違って、世界中がキラキラと飾り付けられてみんなが平等に幸せを感じられる特別な時間のような感覚。
だからこそマリウス君もささやかながらも両親に喜んで欲しい一心で願い事を書いたんだけど、それがよりによって・・・っていうね。


そしてクライマックス。
翌12月21日の朝8時から始まる「チャウシェスク大統領を称賛する集会」に(強制的に)参加するお父さん。
(もしかしたら、政治警察にあのことがバレたんじゃ・・・)
内心、気が気ではない。

しかし、突如数万人がひしめく集会場に響き渡る爆発音。
まさに、これこそが「ルーマニア革命」が蜂起する歴史的瞬間であった。

物語の殆どが「自宅」の中でレジスタンスのように隠れながら撮影され、カメラもあえて固定せずに手で持ったままブレと一緒に残すことで、臨場感や焦燥感がビシビシ伝わる。

そしてそこから翌日の集会の映像は当時の本物の映像を使い、家族の小さな秘め事が壮大に成就するというスケールのデカいオチに繋がっていく。

それまで暗い部屋の中で繰り広げられていたじりじりとした展開とはうって変わって、革命に突入していくルーマニアの混沌とした映像をポップな音楽が盛り上げる。
殺伐とした映像とは裏腹に、ルーマニア国民が自由の為に戦って勝利した「記念すべき日」の記録。
ここに実際の映像を使ってオチにするというセンスがモンティパイソンっぽくて好き。

映像には映らなかったけど、お父さんが事実を知った瞬間に膝から崩れ落ちて泣いているシーンが眼に浮かぶ。

もしかしたら、サンタさんはマリウスの願いをちゃんと聞いてくれたのかな?
そんな洒落すらも感じさせるエンディングでした。



余談。

何故この作品で「12月21日」の背景が直ぐにピンと来たのか?

僕自身、そこまで歴史に強いわけでもないんですが、実はこれまたサッカー繋がりで、当時のルーマニアサッカー代表に「ゲオルゲ・ハジ」という名選手がおりまして、彼は左足を駆使するテクニシャンだったこともあって、その頃は「東欧のマラドーナ」と呼ばれ一目置かれていました。
1989年頃はまさに彼が世界へ羽ばたく直前で、翌年の90年W杯や94年W杯でのルーマニアの躍進は彼なくしては語れないくらいのスター選手で、僕も結構好きでした。

そんな彼らが「W杯に出られないかもしれない」という噂が流れて、それがこの悪名高き「チャウシェスク大統領の恐怖政治」の影響だったんですね。

結果的には革命が起きて奇跡的に彼らは世界に羽ばたくことができた。

なので「ルーマニア」「1989年」「12月」というのは、サッカーファンとしても記憶に残るワードでもありました。
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