まりぃくりすてぃ

ハウス・オブ・グッチのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

ハウス・オブ・グッチ(2021年製作の映画)
3.9
イタリア語で撮られなきゃダメでしょ、とモヤモヤモヤモヤ。チャーオ、アッローラ、セニョーラ、グラーチェが稀に出てきたぐらいじゃ許容できず、時々耳を塞いだ。(イタリアを舞台にしてて英語でギリOKなのは最美作『ブラザーサン・シスタームーン』ぐらいかな。。) 英語で撮るんだったら中国語で撮ったってべつに構わないんじゃん?と『ココ・シャネル』の時には思っちゃったりしたよ。

映画内容が面白くなったのは、家を追い出されて結婚する辺りから。
そして英語に私がやっと慣れて快適に見れるようになったのは終わりの40分ぐらいだった。
信頼できる頑張れてる監督が素晴らしい頑張れてる演技者たちを撮って、まあ、興味モチが続いた佳作だった。マカロンパーティーとか伯父親子のハグとか、弾める場面たくさんあったよ!
アダム・ドライバーのかっこよさが何というかボリューミーなのをみて「体格いいと得だね。顔と雰囲気同じままで、15センチ背が低けりゃ冴えないし、筋肉なけりゃキモくなる…」と感心した。本作はアダム・ドライバーの映画だった!
イラクの怖そうな社長役もかっちり素晴らしかった。
ジャレット・レトのくれる可笑しみも大貢献だった。
父ズもレディーズもみんなみんな素晴らしかった。ほんと映画の醍醐味のある佳作。
ただ、これだけの適役な人々を全部イタリア国内で見つけ出してイタリア語映画として撮ればもっとずっとよくなったに決まってる。どうしてもアダドラやガガや純アメリカン化したパチーノじゃなければグッチ一家を表現しきれない、なんてことはない。
それと、パワーゲームはいくら面白くっても私みたいな庶民と懸け離れすぎてて他人事であることが初めっから確定しちゃってる。だからグッチ物語には、グッチを愛好する一般客たちの物語をちょっくら付け加えて初めて完成が来る。見た一人一人が思い思いにそうすればいい?
ファッションブランドは、買う人の人生があってのもの。

学生時代、あるサークルで怖めの偉い先輩女子一人が私たち女子新入生をふざけて仕分けしてくれたことがあった。「あんたは、うーん、エルメス」「あんたは、えーと、グッチね」と。エルメスとグッチの二択ばかりで他はないのだった。
その先輩は、私については迷わず「グッチ」と判定。「どっちでもないかも」と言われて凹んでた子もいたが、まだ購買力のなかったその頃から私はグッチ派を早々自認するようになった。オカゲサマ

実際に私がグッチデビューしたのは、恋人に誕生日に贈られてグッチの財布をオソロした時だ。おごられるゴハンのたびに私は私のと同じ財布が出てくるものだから自分が一緒に支払ってるみたいなイタズラっぽい気分を楽しんだものだ。ゴメンネ
その男の子と破局した時、「グッチに罪はないけど…」とぶつぶつ言い交わしながら二つのグッチを一緒に処分しに行った。最後の共同行為だった。シミジミ

グッチ一族がどうなったかに関係なく、私にとってはグッチは私のいろんな想い出の中のグッチがすべて。資本主義なんてかなりどうでもよくって、私は私を生きる。