開明獣

スーパーノヴァの開明獣のレビュー・感想・評価

スーパーノヴァ(2020年製作の映画)
5.0
娘と鑑賞。

30年以上も付き合ってきたカップルの片方が認知症になってしまう。認知症になった方は、密かに自死しようとする。自分が自分でなくなるのは許し難いことであるし、そんな姿を相方にみられたくないから、というのが理由である。

一方、その計画を計らずも知ってしまった連れ合いは、なんとしても、生きて欲しいと願う。2人の間に出来た大きな隔たりを前に、どうするのか?

観賞後、娘と私は暫し無言。暫くしてから口を開く。

私「認知症になって自殺したい方をA、そのパートナーをBとしようか。Aは、自分が自分でなくなっていくことを恐れて自殺しようとするわけだけど、まずもし自分がAと同じ状況になったらどうする?」
娘「私は自殺なんかしないで、一緒にB、つまりパートナーと治療に専念するな。一縷の望みをつないで医学の進歩に賭けるね」
私「なるほど、君らしい考え方だな」
娘「お父さんならどうする?」
私「答え分かってるだろうけど、Aと同じ選択肢をとるだろうな」
娘「たとえBがとてつもなく悲しむとしても?それって、とっても自己中じゃない?」
私「壊れていって、最後には相手を認識出来なくなるのを見る方が辛くない?そんな目に遭わせたくないというのもあるかな」
娘「・・・らしいわ・・・。じゃあ、自分がBの立場で、Aが自殺するつもりでも止めない?私なら何としても止めようとするだろうけど」
私「法律云々の問題をさておくとするなら、止めずに見守るだろうな。そりゃ、心情的に辛いだろうし、そうなったらかなりの打撃を被るだろうけど、本人の望むようにしてやりたいかな。まあ、実際にはそうなってみないと分からないんだけどね」
娘「そうね。見てる方も辛いよね。じゃあ、相手が人生のパートナーじゃなくて、もし私だったらどうする?血を分けた実の娘が、アルツハイマーで自分じゃなくなっていくのは耐えられないから自死するっていいだしたら?」
私「いや、そ、それは・・・だいたい、さっき、Aの立場なら自殺は選ばないって言ったじゃん」
娘「そうね。でももし仮にすぐ近い将来に私が認知症になって気持ちを変えて死にたいと言い出したらどうする?」
私「君はまだ充分に長く生きてないじゃないか。この映画では30年も連れ添ったパートナー同士という設定だから、話が全然違うよ」
娘「それなら、全力で死なないよう説得するんだ」
私「きっとそうするだろうな」
娘「基本、お父さんはわがままなんだよなあ」
私「そんなことはない!いささかもブレてはおらぬ!」
娘「まあ、いいや。お父さんの娘でよかったよ。多分(笑)」
私「多分っていうのはなんだ(笑)」
娘「あのね、話し変わるけど、お父さんがAの状況になっても止める自信あるな」
私「ほう。どうやって?」
娘「お父さんが死ぬなら、私も死ぬって言ってやるの」
私「卑怯な!!ブラフだろ!」
娘「でも証明出来ないよね?万一、自分が死んでから私が死ぬ可能性あるなら、その可能性を極力排除しにいくでしょ?」
私「いきなりロジカルに攻めてきやがって(苦笑)」
娘「これが別れたお母さんだったら、止めないんでしょ?」
私「ブラックだなあ(笑)」
娘「離婚してようがしてまいが、どーぞどーぞ、ってダチョウ倶楽部するんでしょ?(笑)」
私「おそらくはね。それを本人が望むのなら・・・」

正解のない問いをめぐって久しぶりに親子で真剣な対話が出来た気がする。そういう機会を作ってくれた本作に感謝。

実は、Aはピアニストで、Bは作家という設定。演奏家のその時々の演奏は、その一瞬にしか起こらないこと。たとえ、録音したとしてもその時の雰囲気も含めて完全に再現することは出来ない。瞬間に賭ける技、それを生業にしてきた男と、文字が残ることで自分の成したことに永遠に近い命が得られることをしてきた男と・・・。Bは超新星が爆発して滅びても、我々の身体の構成物となって存在し続ける、いわば存在の永劫性を信じているのに対して、Aは一瞬の命は決して帰らぬことを信奉しているようだ。どちらが正しいという問題ではなくて、違ったベクトルにあるものが愛し合い、極限的な状況にある時、我々はどう相対するのか。そんな優れた問題提起をしてくれたように感じた。

謝辞: この作品をみるきっかけとなった、フォロワーの1人、nemoさんの本作に関する素晴らしいレビューに敬意と感謝を表して。
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