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偶然と想像のlotusのレビュー・感想・評価

偶然と想像(2021年製作の映画)
4.5
短編3つからなるオムニバス映画。一つ一つの物語は独立しているけれど、3つあるからこそ、一つ一つの映画の良さが際立つものになっていた。

この映画は映画の力が遺憾なく発揮されていて、特に1話目と3本話目のクローズアップの使い方が素晴らしかった。

1話目の主人公はモデルの仕事をしているメイコ。見た感じは15歳くらいにしか見えないけど、おそらく20代半ばくらいか。やせっぽち、という体型で、面立ちは奈良美智の女の子を彷彿とさせる(90年代のCUTIEのモデルさん、というと一番しっくりくる)。

外見から言うといわゆるファム•ファタルとかには見えないのだけど、「ヤバい女」である。
仲良しのメイクアップのグミちゃんと仕事終わりにタクシーに乗りながら恋バナに花を咲かせるのだが、グミちゃんの話を一通り聞き終わって別れた後、タクシー運転手に「今来た道を戻ってください」とメイコが告げた時、あ、ヤバい女かも。と思った。メイコは元カレで、グミちゃんが今引かれている男のところへと向かったのだ。

詳細は省くけど、メイコは元カレに、あんたグミちゃんといい感じなんだって?わたし、グミちゃんの親友なんだけど。あんたのことが好きな気もするけど、寄りを戻したいとかじゃない。むしろグミちゃんのが大事だけど、あんたのこともまだ好きだと思う、と言ったことをほとんど一方的に話す。

勝手な女に見えるけれども、自分の気持ちにとことんまで向き合いすぎる結果、普通の人が適当に誤魔化してやり過ごす部分を全部言葉にしてしまうから「ヤバい女」に見えてしまう。

結局メイコは逃げるようにその場を離れるのだが、後日、グミちゃんとお茶している時にガラス張りの店内から元カレを発見する。(グミちゃんとほとんど同じタイミングで)当然グミちゃんはすごい偶然!来てきて〜と言うのだけど、メイコと元カレは気まずい雰囲気。

ここで使われたクローズアップが秀逸だった。メイコが元カレに言いたいことをぶちまけるシーンが映ったあと、グラリとしたクローズアップでメイコの顔が大きく映し出されると、再び引きの画面になり、「わたし、行きます!」と言ってその場を去るメイコが映る。

このクローズアップの効果が3話目に繋がってくる。渋谷の街並みが見えるところに場面が移り、メイコは彼女が選び取った「今」の写真を1枚パシャリ、と撮って一話目が終わる。

2話目は結婚•出産後、大学に通い始めた主婦のナオが主人公で、彼女は流されるままに同じ大学の男子学生ササキと付き合っている(と言っても、ほぼ体だけの関係)。

この男子学生は、就職が決まってるのに単位を落とし、就職を逃して教授を恨んでいる、と、ここまでは割とありがちな話だが、ササキはこの教授に復讐するため、ナオを利用しようとする。(教授のセガワとナオのやりとりはコミカルで面白いけど、ネタバレになるので割愛)

このササキがなかなかに「ヤバい男」で、ナオを利用しようとするところもなかなかに最低なのだが、何年か経ってドン底のナオと再会した時に、何事もなかったかのように抜け抜けと話しかけ、自分が「普通の」人生を送っていることを聞いてもいないのに滔々と報告する。最低だ。

こちらのヤバさは、自分の気持ちと向き合いすぎるからではなく、とことん自分のことしか考えておらず、恩着せがましく、自分だけは傷つかず生きていきたいと思っているところにある。

その辺にいる学生からその辺にいる会社員になっているササキだが、その辺にいる男のヤバさを遺憾なく感じさせられた。(思わず、この役者さん誰だろう、と調べてしまった)

3話目が個人的に一番好きで、こちらは久しぶりに高校の同窓会に出席するため仙台に戻ってきた夏子が主人公。同級生の多くははすでに結婚して子供もいるような年齢だ。それなりに会話を弾ませようとするが、ぐったりと疲れてホテルに戻ってくる。

翌日、空港に向かうため、仙台駅近くのエスカレーターに乗っていると、反対側から見たことのある顔が。その人こそ、夏子が会いたかった人「あや」である。向こうも気づいてすごい久しぶり!何年ぶり?時間ある?となり、家に行くことになる。いろいろ話すうちに、そんなことある?というような事実がわかるのだけれど、そんなこともあるかもな、と思わせるのがこの映画の(あるいは、映画というものが持つ力の)いいところだ。

駅まで見送ってもらって2人は別れるのだが、ここでもクローズアップが使われている。1話目のクローズアップが破滅へと向かいつつあった想像が、何事も起こらなかった現実に引き戻されるものであったのに対し、3話目のクローズアップは何も起こらなかった現実から、あり得たかもしれない可能性へと開かれるもので、こちらも素晴らしいクローズアップの使い方だった。

実際には過去に戻ってやり直すということはできないのだけれど、もし戻ったとしたらこういうこともあり得たかもしれない、という可能性を見せる。それが今という現実にも作用し、昨日と連続する明日、ではなく、新たな可能性を経由した明日の姿を見せてくれる。

余談だが、終盤のシーンで「あや」が名前を思い出したの!と言って夏子を追いかけてくる場面、ちょうど『千と千尋の神隠し』を見た後だったので、じんとしてしまった。
人は(特に女の人は)長く生きるうちにいろんなことを忘れてしまう。それを思い出すことは、自分の姿をもう一度取り戻すことでもある。

とてもいい映画だった。
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