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ボーはおそれているのすずきのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0
富豪の母親から離れて、治安の悪い街のアパートに1人暮らしする中年男性・ボー。
彼は不安神経症で、カウンセラーの医師から薬を処方されている。
ある日、父親の命日に実家に帰るはずが、部屋の鍵を盗まれて外に出られなくなってしまった。
更に不幸な事に、母親がシャンデリアの落下で顔を潰されて事故死した事を知り、酷く狼狽するボー。
様々な恐怖に巻き込まれ、部屋を飛び出したボーはトラックに撥ねられ、意識を失ってしまう…

「ヘレディタリー/継承」「ミッドサマー」のアリ・アスター監督の第3作。
本作では、ホアキン・フェニックス演じる主人公に、ありとあらゆる「恐怖」が襲うドタバタ精神的ホラー悲喜劇。
上映時間は約3時間の長尺で、主人公が気絶する事で場面が移り変わる、全4章仕立て。
ボーの長い長い旅路は、脚本の完成度としては研ぎ澄まされていない所も感じ、時にはイマジネーションが暴走している所もあるけれど、逆にそれが神話や古典的な叙事詩のようにも感じた。

監督自身の感じる「恐怖」とは何か、それをとことん詰め込んだ作品。
そして「ミッドサマー」のような、メンタルセラピー的な側面もあるように感じた。
ホドロフスキー監督は、芸術によって自らを癒すセラピー方法、「サイコ・マジック」を提唱したが、アリ・アスター監督はそれを実践したのではないだろうか。
そのパーソナルな作品性は、アリ・アスター版「エヴァ」のようにも感じた。

劇中、ボーは様々な恐ろしい目に遭う。
暴漢に襲われる、無実の罪に疑われる、安全な筈の場所には他人が土足で入り、自分は追い出される、信頼されている人から憎まれ、裏切られる…。
恐ろしい事は沢山あるけれど、中でも1番怖い事、それは饅頭…ではなく、自分が存在する事。
ありとあらゆる事の存在を疑っても、自分が存在する事だけは疑いようのない。
コギト-エルゴ-スムの言葉通り、世界の全てが崩れ去ろうとも、自分が生きている事は消えない。
私は何故存在するのか、「ミュウツーの逆襲」のような命題は、そのままボーの不安へと繋がっている。

色々と作品の意味を考えさせられる映画だけど、考察が合っているかどうかは別として、全くの意味がわからない、難解な作品ではない。
考察ポイントが多すぎて、ボリュームに圧倒されるだけで。
クライマックスのデッカい⚪︎⚪︎⚪︎の怪物も、メタファーとしてはこれ以上ないぐらいに直接的。

町山智浩氏は、監督へのインタビューの中で、旧約聖書との関連を聞いていた。
私はあまり詳しくないけれど、ボーの自分の生まれた理由と罪深さを知り、そして罰されるという展開は、やはり原罪に由来する「恐れ」「畏れ」なのだろうか。