まりぃくりすてぃ

サンマデモクラシーのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

サンマデモクラシー(2021年製作の映画)
3.0
まず、作り手に言っておく。一般女性相手に非礼なことをしないでほしいな。
沖縄県内の路上で小石を投げれば比嘉さんか大城さんか金城さんのどれかに必ず?当たるのと同じく、沖縄県内の老人ホームの女性部屋でちんすこうを投げればウシさんかナベさんかカマさんに当たるはず、というのは、沖縄県民なら誰もが知ってること。
それを今、たまたま一枚きり残った当時の裁判の原告女性のポートレートが化粧っけなく毅然としてて若くなくて、名前が「ウシさん」だったからといって、「猛然と権力に闘いを挑んだ女傑!」と強調したくてわざわざ闘牛映像まであてるなんて、、、
何の資格があってそんなことを。
生活のために必死に裁判起こした先輩ウチナーンチュの一人の見かけがどんなだったかに、いちいち注意を向けさせなくてもね。
(一応、とばっちりを与えておくけど、浜辺で方言交じりのナレーターやってた藤木勇人、あんたしばらく見ないあいだに顔がぶくぶくになったね。どうみても食べすぎ飲みすぎだよ。ウシさんに「アンシェー、ヤーヌチラー、ウシゲールーヤシェ(じゃあ、あんたの顔は牛蛙だね)」とか反撃されそう。方言の藤木&標準語の川平のタッグで行くのもいいけど、いっそ伝説のロバシェリでも引っ張りだしてこいってば。この手のセンシティブな話題を避ける主義に長年ならざるをえなかったアメリカ人のシェリー&ロバートに、県民募金で集めた一億円のギャラでも渡せば、今さらながらきっと面白くなるよ!)

ともかくも、牛に続いて、喇叭(ラッパ)さん、虎さん、亀さんだ。確かに、スジを通した立派な男女が四人並べば、興味は続く。
でも、かつて世界の先頭切って抑圧と闘ったジョン・レノンが「ものの見方を変えるんだ。僕みたいなバカは笑いとばして、あなた自身が何者かを考えるんだ。あなたはスーパースターか? そうさ、あなたがスーパースターなんだ。(僕ひとりが輝くのじゃなく)みんなが輝くのだ。月のように星のように太陽のように誰もが輝くのだ。そうだ、あなた自身が輝くのだ」とイ・ン・ス・タ・ン・ト・カ・ー・マの歌詞の中で訴えた。それを曲解した大馬鹿者に最後撃たれちゃったけど。
誰か豪傑たちや “偉人” たちを中心に歴史が動いてきた、という司馬史観はとっくに時代おくれなはず。五輪で世界記録出した者よりも、地球の片隅で子供十人産んで必死に日々の子育てをしてる無名のお母さんひとりのほうがもしかしたら偉大かもしれない。前畑がんばりすぎました! 前畑はもう泳げません!!
このドキュメンタリー映画に出てくる四人の主要実在人物に寄りかかるんじゃなく、観た私たちみんなが、この四人と同等の強さ・確かさ・前向きさ・したたかさ・公正さ・明るさをもって理想を引き寄せることが大事。

で、映画の終わりに、諦念を感じた。日本人に沖縄のことをいくら言って聴かせようとしても、もう何にもならない気がする。日本人はもう精神的成長の可能性がなさそうだよ?
沖縄を蹂躙する自民党政権、をアベ以来ずーーーーーっと選挙で勝たせつづけてる日本人なんて、もう、完全に終わってるから。どこか別のレビューで書いたけども、既得権益保守政党を支持することがダメと私は主張したいんじゃなく「既得権益保守政治を熱烈に支持するなら支持するで、自分たちが沖縄をどういうふうに虐げているか、踏みつけているか、せめて直視しつづけろ、右も左も中道もノンポリも全員!」だ。県民投票であきらかに「辺野古ノー!!!」と答えが出た直後にもう海攻撃した、その痛ましい海とかを真正面から両目で見つめつづけろ。すべて人間の苦しみ痛みから逃げずに、ニタニタ笑いながらでもいいから既得権益保守政治支持の自分をきちんと意識しつづけろ。また、既得権益保守政治が嫌いな者は、なぜ自分たちが既得権益保守政治をひっくりかえせないのか、徹底的に考えぬくがいい。
人間は何のために生きるべきか。
民主主義の定義を、まずはより完全に掴むべきね。
民主主義とは「多数決を基本にした、全員納得の全体意思決定制度。少数は多数に従う義務を負い、多数は少数を説得する義務を負う。その説得のためには、少数へのさまざまな配慮と充分な公正さが必要である」。
今の日本では、民主主義を「多数決主義」としか理解できない者がほとんどだ。単なる多数決主義ならば、多数の側は(表面的に法律さえ守っていれば)どんな理不尽なことをしてもいい。だから、あらゆる不正(不公正報道や選挙不正ふくむ)を使ってでも、とにかく多数派になることがコミュニケーションの主目的になる。日本には、本当に、多数決(と権力者による専制支配)しかないみたい。
アメリカ内のことは、よく知らない。どうでもいい。
日本国において、沖縄は少数。沖縄以外(北海道から鹿児島まで)が多数。多数決主義によるやりたい放題がめちゃくちゃ続いてる。これからも続くだろう。ほとんど誰も民主主義の定義を言えずに生きてるからだ。
はあ? 「人民の、人民による、人民のための」??? ……禅問答じゃないんだから。

沖縄は、本土の冷酷で無気力でいい加減な日本人に諦念まじりの多少面白く心熱いドキュメンタリー映画をみせようとするよりも、早いところ本土からの独立の是非を問う県民投票をめざしたほうがいい。何度でもそれをやったらいい。現実味は今のところないけれど、世界が注目してくれる。外圧に弱い本土の日本人たちには、いい薬になる。悔しいけどね。本当に日本は、内側から知性と勇気と論理性でものを改正していく力が乏しい。(無ではないが。)
国連は、沖縄での今も続くアメリカの横暴を条項的に完全許可してる。だから沖縄と日本政府は国際法上はアメリカに逆らえない。だが、理不尽を世界に(アメリカ内の良識ありそうな人々にも)訴えることはいくらでもできる。(最近の、IOCの横暴と日本政府との関係性もまったく一緒の原理だ!)
国連が沖縄に認めてくれる闘争は、反少数民族差別にかんしてだけだ。ならば、沖縄は正々堂々、日本政府によるウチナーンチュ差別を全世界に訴える権利をもつ。
さっさと沖縄はダラクサーな日本からの独立論を最大武器の一つとしてちらつかせ始めればいい。日本政府は徹底的に金だけばらまいて口を閉じさせよう拳を下げさせようとする。
もしも沖縄県歌を何にするか県民アンケートとったら「芭蕉布」か「てぃんさぐの花」が選ばれるんだろうけど、ここは一つ、「黄金(くがに)の花」を推したい。
黄金で心を捨てないで
黄金の花はいつか散る

「今だけ金だけ自分だけ」で生きてることが2020~21年の大混乱の中で完全にバレた世界人類(日本やアメリカやIOCに限らない)に、猛暑の中で心からノーを突きつける自分が私は心の底から好きだ。たとえ自己矛盾が少しぐらいあったって、遠慮なく言う。言いつづける。正しく生きろ。生きて、輝け。

100円のサンマが120円になったとしてもそんなに腹は立たないけどね。




※ 「沖縄県民の歌」ハ 既ニ アルソウデス