Dick

ヴォイス・オブ・ラブのDickのレビュー・感想・評価

ヴォイス・オブ・ラブ(2020年製作の映画)
3.5
【マイレビュー】

1.はじめに

1.1 ヴァレリー・ルメルシエ監督との相性

❶日本で一般劇場公開されたヴァレリー・ルメルシエの出演作品は、本作を含め11本あるが、監督作品は2本しかない。
①『ヴォイス・オブ・ラブ(2020仏・加)』:本作/70点/3A★★★☆
②『カドリーユ(1997仏)(コメディ)』:1998.09「あいち国際女性映画祭1998」で鑑賞。32歳の監督作品/60点/3A★★★
❷監督としての相性は並。
❸他に5本の監督作品があるが、すべてコメディで日本未公開。

1.2 大好きなセリーヌ・ディオン

❶大好きな歌手の一人であるセリーヌ・ディオン(1968ケベック生れ)。数多いミリオンセラーの中でも、一番のお気に入りは次の5つで、CDアルバムを所有している。
①「My Heart Will Go On(1998)」:映画『タイタニック』の主題歌。
②「To Love You More(1995)」。
③「The Power of Love(1993)」。
④「Because You Loved Me(1996)」:映画『アンカーウーマン』の主題歌。
⑤「Beauty And The Beast(Celine Dion & Peabo Bryson)(1991)」:映画『美女と野獣』の主題歌。
❷でも、彼女の私生活については全く知らなかった。正確には、以前は興味がなかった。
❸今回、「セリーヌ・ディオンの人生から生まれた物語」として本作が公開されることを知ったので、待ちかねていた。

2.マイレビュー:ネタバレなし

❶冒頭に次の表示がある:
「この映画はセリーヌ・ディオンの人生を基にしたフィクションである」
①つまり、事実に忠実な伝記映画ではなく、フィクションを織り込んで、エンタメ要素を膨らませた内容になっている。
②このため、主人公の名前が「セリーヌ・ディオン」ではなく、「アリーヌ・デュー」となり、家族他の登場人物の名前も変えられている。
★セリーヌ本人の歌と顔以外は知らないので、違和感はない。
③主人公アリーヌが歌う曲は、すべてセリーヌ・ディオンの曲だが、オーディションで選抜されたフランス人の若手歌手ヴィクトリア・シオ(34)がカバーしている。
★出来ればセリーヌ本人の声が聞きたかったが、ヴィクトリアの迫力ある歌唱は違和感なく問題ではなかった。
④そして、エンドクレジットに次の一文を入れて、セリーヌ・ディオンへの敬意を捧げている:
「セリーヌに捧ぐ」

❷相性:中。
★理由は下記❺。

❸時代:アリーヌの父の少年時代の1932年から幕が開き、アリーヌが生まれる1968年を経て、アリーヌの夫が死去した2016年で幕を閉じる。

❸舞台:アリーヌと両親の故郷カナダはケベック州のモントリオール郊外の田舎町(フランス語圏)を皮切りに、コンサートの行われたフランス、アイルランド他のヨーロッパ、そして、アメリカの幾つもの都市を経て、最後は自宅のあるラスベガスで閉幕する。

❹本作で描かれたアリーヌ・デュー(セリーヌ・ディオン)の歩み:【 】の数字はアリーヌの年齢。

①1968年、アリーヌ誕生。シルヴェット(母)とアングロマルド(父)にとって14番目の子どもだった。
②1973年、【5歳】。アリーヌは家族の結婚式の余興で歌って拍手を浴びる等、音楽好きの一家の中でも抜群の歌唱力を持っていた。
③1980年、【12歳】。アリーヌの夢は歌手になること。家族たちは協力して歌のデモテープカセットを作成し、地元の音楽プロデューサーのギィ=クロードに送る。
④テープを聞いたギィ=クロードは、アリーヌと家族に面接し、アリーヌはダイヤの原石で、将来は大歌手になると伝え、レコーディングをして、カナダでデビューする。パリでのステージも実現し、好評を博す。【13-15歳頃】
⑤ギィ=クロードは、世界で一流になるには、基礎準備が必要だと、英語のレッスン、ダンスのレッスン、歯の矯正、ヘア&化粧の仕方等を特訓する。【16-18歳頃】
⑥別人のように垢抜けしたアリーヌは、ギィ=クローと母と一緒に、カナダと全米のツアーを開始するが、どこも満席となる。
★このあたりから、アリーヌはギィ=クローに恋するようになるが、母は、26歳も差があり妻子のいるギィ=クローに大反対。
⑦1988年。【20歳】。ダブリンの歌謡コンテストに出場し、優勝する。その夜、アリーヌとギィ=クローは結ばれる。
⑧1991年。【23歳】。ヨーロッパツアーの最中に、ギィ=クロードはアリーヌに求婚しアリーヌは承諾する。
⑨1994年。【26歳】。ようやく両親の許可が出てアリーヌは、離婚しているギィ=クロードと結婚する。
⑩2人とも、子供を切望していたにも関わらず、妊娠しないので、不妊治療を開始する。
⑪アリーヌが声帯を痛め、歌えなくなったので、3ヶ月休養する。
⑫アリーヌはゲイのメイクアップアーティストのフレッドと知り合い、悩みを相談する親友となる。
⑬1998年。【30歳】。アリーヌは「My Heart Will Go On」でアカデミー歌曲賞を受賞し、式場でそれを熱唱する。その時のドレスのアドバイスをしたのはフレッドだった。
⑭2000年頃。西海岸に超豪邸を購入。母屋に14室、5つのパビリオンとプール。
★アリーヌがプールから戻る時、ドアを間違えて、自宅で迷子になるシーンがあった。
⑮2001年。【33歳】。ようやくアリーヌが妊娠し、男子を出産する。第2子は双子の男子で2010年、【42歳】。
★寸暇を惜しんで、仕事(ステージ)と育児に専念するアリーヌ。
⑯2003年。【35歳】。父死去。(母は2020年に死去)。ラスベガスでのロングラン開始。
⑰2016年。【48歳】。 夫ギィ=クロード死去。
⑱エピローグ:【48歳】。
眠れない夜をフレッドの部屋で過ごした、夫の死の痛手から立ち直れないアリーヌは、フレッドに言う;
「この14年間、一度もプライベートで一人きりで街を歩いたことがない」。そして、アリーヌは一日中一人で街を歩き回る。その結果、「自分には歌の道しかない」ことを悟り、ステージに戻っていくのだった。

❹得点(良かったこと):
①一番の得点は、これまで知らなかったアリーヌ・デュー(セリーヌ・ディオン)の側面が分かったこと。
②その中心はアリーヌと夫ギィ=クロードとの、35年余に渡る歌という共通の強い絆で結ばれた純愛だと思う。芸能界では、よく「おしどり夫婦」と言われるが、2人の関係はまさにこの表現がぴったりだと思う。これが、本作の最大の収穫だった。
③お馴染みのセリーヌの歌の数々が、適切な場面で聞けたことも嬉しい。ヴィクトリア・シオによるカバーは、全く違和感がなかった。

❺失点(不満だったこと)
★以下の①と②がなければ、傑作になっていた。
①セリーヌ・ディオンの人気がブレイクした2つのビッグイベントについて殆ど言及されていないのが物足らない。
ⓐ「第33回ユーロビジョン・ソング・コンテスト:1988/4ダブリン」:下記「❻トリビア1」を参照。
★本コンテストは、約40ヵ国が参加する欧州最大で最も権威のある音楽イベントであり、スイス代表として出場したセリーヌが、32年ぶりに優勝して国際的に認知された記念すべきイベントだったのに、本作ではダブリンのコンテストで優勝したとしか説明されなかった。
ⓑ「第70回アカデミー賞授賞式:1998/3ハリウッド」:下記「❼トリビア2」を参照。
★本授賞式では、世界的に大ヒットした映画『タイタニック』が作品賞以下11部門を受賞した。その主題歌「My Heart Will Go On」をセリーヌが歌い、世界各地でナンバーワンを記録、セリーヌの最もヒットした曲となり、歴史上最も売り上げたシングルの一つとなり、式場ではセリーヌが熱唱して、アカデミー歌曲賞を受賞した他、ゴールデングローブ賞、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀楽曲賞・最優秀女性ポップ歌手等を総なめにした画期的な曲である。本作では、瞬間的にオスカー像が出ただけで、「アカデミー賞」のことも「タイタニック」のことも全く触れられなかった。
②監督・共同脚本を務めた55歳のヴァレリー・ルメルシェが、ヒロインのアリーヌの12歳から48歳までを、一人で演じている。部分的にCG等で工夫しているそうだが、違和感があった。なぜ、一人にしたのだろうか?
ⓐ現在放映中のNHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』では48歳の深津絵里が18歳のヒロインを演じているが、違和感がある。
ⓑ一方、伝説の舞台「放浪記」では、80代の森光子が20代のヒロインを演じたが、想像力を必要とする演劇の世界では違和感はない。
ⓒ映画と演劇とは異なるのだ。
③邦題が頂けない。「ヴォイス・オブ・ラブ」は「Voice of Love」から来ているので、「V」を「ヴォイス・オブ・ラヴ」又は「ボイス・オブ・ラブ」に統一すべきである。配給会社の良識を疑う。

❻トリビア1:第33回ユーロビジョン・ソング・コンテスト:1988/4ダブリン(出典:Wikipedia)
①「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest)」とは、「欧州放送連合(EBU)加盟放送局によって開催される音楽コンテストで、約40ヵ国が参加する欧州最大で最も権威のある音楽イベントであり、1956年の第1回大会以降、毎年開催されている。
★日本でも公式サイトからリアルタイムで観ることが出来る。
②第33回は、1988年4月30日にアイルランドの首都ダブリンで開催された。同年はダブリン建市1000周年記念の年に当たり、5日後にヨーロッパの日を控え祝賀ムード一色となった。
③カナダのフランス語圏であるケベック州出身のセリーヌ・ディオンはスイス代表として出場し、見事優勝した。スイスの優勝は1956年以来2回目。
④大会に参加出来るのは、欧州放送連合(EBU)の正加盟局の国のみで、カナダには資格がない。そこでマネージャーが交渉して、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの公用語があり、過去国外のアーティストが代表になったことのあるスイスから出場することになったと推定される。
⑤当時セリーヌはフランス語圏でしか知られていなかったが、これが世界に羽ばたく記念すべき契機となった。
⑥34年前の、セリーヌの実況映像が下記YouTubeで観られる。

●「Ne partez pas sans moi (私をおいて旅立たないで)」- Switzerland 1988 - Eurovision songs with live orchestra /3:59
https://www.youtube.com/watch?v=Its0DmezCZw

❼トリビア2:第70回アカデミー賞授賞式:1998/3ハリウッド(出典:Wikipedia)
①第70回アカデミー賞授賞式賞は1998年3月23日に ロサンゼルス・ シュライン・オーディトリアムで発表・授賞式が行われた。司会はビリー・クリスタル。14部門にノミネートされていた『タイタニック』が作品賞を始めとする11部門を受賞したが、演技部門の受賞は逃した。
歌曲賞:「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(『タイタニック』) – ジェームズ・ホーナー (作曲)、ウィル・ジェニングス (作詞)、セリーヌ・ディオン(歌)。
②セリーヌ・ディオンは、本作と同様の黒のドレスで熱唱し、満員の観客を魅了した。
③この曲は、世界各地でナンバーワンを記録、セリーヌの最もヒットした曲となり、歴史上最も売り上げたシングルの一つとなった。
④24年前の、セリーヌの実況映像が下記YouTubeで観られる。

●Celine Dion | Oscars 1998「My Heart Will Go On」 - remastered /4:45
https://www.youtube.com/watch?v=Z-GZXK7ZKTY
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