らら

茶飲友達のららのネタバレレビュー・内容・結末

茶飲友達(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

いやー、すごい映画。社会問題を浮き彫りにするかたちで、現代社会に生きる人々の孤独感や閉塞感が生々しく描かれていた。この映画は監督の主観以外の表現が多く、観客に考えることを促しているように感じたので、映画の内容から派生して考えたことの中からいくつかを以下に箇条書きする。

・居場所があることにより人々は前向きに生きることができるようになるが、孤独感が自分の中から完全に消えることはない。そもそも、居場所が全ての人の孤独感を包摂できるとは限らない。何かの拍子に顔を出すかもしれない孤独感を抱えている私たちは、自分の中で孤独をどのように捉え、付き合って行くかということを考えなければいけないと思った。

・それでも、居場所はやはり必要だと感じた。映画では居場所(ファミリー)が儚く消え去ってしまったが、ファミリーが集って過ごした楽しい時間や交流が各々にとって人生の豊かさに繋がったことに変わりはない(何もないよりは良い、というマツコさんのセリフからも読み取れる)。ありのままの自分でいられる居場所は、健康的で豊かな人生に欠かせない要素となり得る。

・この映画で描かれる性行為を見て、性行為とは性的な存在としての承認欲求を満たすことや快楽を追求することに加えて、相手を通して自分の生を見つめることに繋がっているのだと感じた。会話などのコミュニケーションにおいても、相手を通して自分の存在を自認するという側面があるが、「心のパンツを脱ぐ」というセリフにもあるように、肌の触れ合いによってしか開放されない人間の生の部分が確かにあると感じた。漠然とした閉塞感は、心のパンツを脱ぐことで打破できるのかもしれない。

・これからの時代は、血縁関係や法制度に定められた家族ではなく、ありのままの自分を受け入れてくれる存在と共に生活したいと望み、実現する人が増えるのかもしれないと思った。家族という言葉から、生活を共にする人というニュアンスは消えて行くのかもしれない(もしくは、家族という言葉から血縁関係や法制度に縛られた意味合いが失われる)。映画の中のファミリーは、あくまで経営者と従業員という関係性に留まっていたことが明らかになり、切なかった。
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