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ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーのsanbonのレビュー・感想・評価

4.5
これがゲーム映画の正解。

いや、これは凄いと思うよ純粋に。

8bitから始まった横スクロールの元祖である本シリーズは、当然ながらストーリーなどほぼ度外視の"アクションを楽しむ為だけ"に特化した一点集中型のゲームであり、35年以上に渡り何十作と作品が続く中で、その設定や特性や性質やジャンルですら作品によってまちまちならば、作品毎の繋がりや整合性なども特になく、あるとすればただ一つ"お約束"は「クッパ大王」を倒すという事のみ。

そんなだから、ゲームの題材としては限りなく自由だが、一つの映画としてまとめあげるには非常に的を絞りにくく、取っ掛かりとしてはあまりにも手掛かりが少ない。

だって、なにをどうやったら街の配管工が亀の化け物と戦う事になるんだよ?という話。

そういう細かいディテールまで考えだすと、これを整然としたストーリーとして描く事は大分難儀なミッションだと感じる。

もちろん、世界観を無視してやろうと思えば、30年前くらいにやってた実写映画みたいな代物(これはこれで面白くはある)は作れるだろうが、誰もが馴染み、誰もが望む姿形での理想の映像化をしようと思えば、どうしてもぶち当たる壁がある。

それは「マリオ」という男の"ライフスタイルが想像できない"点である。

ゲームでは、なぜこのヒゲオヤジが世界を救うようなマネをしているのかという"バックボーン"は基本語られず、間髪入れずに冒険へと駆り出される。

それは、プレイヤーがヒゲオヤジを操作出来る前提があるからこそ成立する、ある意味でのパワープレイな訳だが、映画として見せるとなるとそうはいかない。

物語には起承転結があり、動機と目的があり、キッカケと結論があり、苦悩と葛藤がある。

ステージを1-1,1-2と続けていって「ヒャッホー」と奇声をあげながら、ステージの最後に待ち構えるボスを陽気に踏ん付けていればいい訳ではないのだ。

しかし、マリオに求めているものは、徹頭徹尾敵を陽気に踏ん付ける様にこそあり、このヒゲオヤジに重厚なストーリーなぞはなから望んではいないのが本音。

"だから"マリオの私生活なんて正直知りたくもない。

"だから"ゲームは成立する。

だが、これは映画だ。

そこに切り込んでいかないと、文字通り"話にならない"。

ここまで有名なキャラクターだからこそ、今更ここを深掘りする難しさは相当なものだっただろう。

そう考えると、今作のやった事は相当に秀逸だったと思える。

だって、ブルックリンで生活してるマリオもちゃんと僕らのイメージするマリオそのものなんだもん。

ゲームでは決して語られる事の無い"日常生活を送る普段のマリオ"とは、それすなわち映画オリジナルの要素となる訳だが、オリジナル要素にはことさら厳しいジャッジが下る事が多い中でも、今作はそれを全く違和感なく取り入れている。

それ以外も、基本は全編通して映画オリジナルの展開を貫くわけだが、それでも本来の素材の持つイメージを一切損ねる事なく、マリオ以外の何物でもない作品に仕上げていたのは、例えるならカレーの材料を使ってめっちゃ美味しいシチューを作ったみたいなもんだろうか。(違うか)

しかも、その中で更に各種ゲームシリーズでお馴染みのあれやこれも、ファンサービスと言わんばかりに詰め込みまくっているのだから、そのバランス力たるや凄いの一言。

例えば、マリオの人気シリーズの一つといえば「マリオカート」だが、その要素を必然性があるうえでストーリーにしっかりと根付かせて登場させているのは大分凄いと思う。

だって、ブルックリンから「レインボーロード」だぜ?

僕はこの手の映画化で、それらが前後の脈絡なく、ただ唐突にぶち込まれる様子を数多く観てきたから、こんなにもノイズを感じず、話の腰も折らず、スムーズに導入されていく様には感動すら覚えた。

そのうえで、今までアクションゲームのマリオを観させられていたのに、あの場面の間はまごう事なくマリオカートとしての映画を観させられているのだから、徹底した世界観の描き方には感服する他ないというもの。

更に、お馴染みのアイテムも惜しげもなく登場してくる中で、最後はもちろんあれだろうと分かってはいつつも、いざその瞬間を迎えると演出の巧みさと爽快感にテンションMAXは不可避だし、不覚にも少しジーンとする展開もあったりなんかして、まさにアトラクションのようなあっという間の時間だった。

今作は、終始オリジナル展開にも関わらず、観たいものを満遍なく観せてくれており、期待する展開をこちらが欲するタイミングで提示してくれるという、バランス感覚に非常に優れたゲーム原作映画の最適解と言っても過言ではない快作だった。
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