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オッペンハイマーのRenのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.0
【基礎知識(史実編)】
○ オッペンハイマー:理論物理学者で米国の原子爆弾開発の主導者。戦後に赤狩りに巻き込まれ公職追放となるが、米政府は後にこの処分の非を認め、名誉挽回を果たした。
○ 赤狩り:ソ連と冷戦状態にあった米国の政府が、国内の共産党員とその支持者を社会的に追放すること。共産党員≒ソ連の手先 とされていた。
○ マンハッタン計画:ナチス・ドイツ等の一部中枢国の原子爆弾開発に焦った米・英・カナダが科学者と技術者を総動員した一大計画。
○ トリニティ実験:1945年7月16日に行われた人類初の核実験。
○ ルイス・ストローズ:原子力委員会の委員長を務めた。オッペンハイマーとは水爆開発を巡り対立、次第に彼を憎み、失脚させようと画策する。劇中ではロバート・ダウニー・Jr.が演じる。

【基礎知識(映画構造編)】
物語は二幕構成。この二幕が交互に入り乱れる形で進行する。
○ 一つは1954年のオッペンハイマーの聴講会(赤狩りによるスパイ疑惑を巡る査問)と、彼視点の回想。カラーパート。
○ もう一つは1959年のストローズの公聴会(彼が本当に長官に相応しいのか?を問う質疑)と、彼視点の回想。モノクロパート。

膨大な情報量が3時間止まらず流れ続ける。ここまで緊迫し、疲弊し、集中を要する会話劇主体のヒューマンドラマ(しかもR指定)でこの特大ヒットは映画史上でも超異例ではないだろうか。冒頭に記した基礎知識は今一度頭に入れておくと観賞中に余裕が出ると思う。人物も入れ替わり立ち替わりで大量に出てくるけど、顔と雰囲気でなんとなく把握しておけばついていける。

結論から書くと、明らかな反戦・反核映画の傑作だった。考えれば考えるほど、日本公開前から憶測で批判されていたことと謎に日本公開が遅れたことへの愚かさを感じてしまう。注意喚起を付して夏公開でもよかったのに、(もし今作が原爆を題材にした映画であることが理由なら)その意味不明の忖度を鼻で笑いたくなる。

原爆の話ではなくオッペンハイマーの話であることは忘れないでおきたい。彼が誰とどのように生き、どう社会的に成功し失脚させられたのかが主軸の伝記映画であり会話劇。しかしその上では原爆を切り離すことなどできる筈も無く、トリニティ実験が作品の真ん中に印象的にどんとピン留めされている。

ノーラン作品は設定の突拍子の無さとそれを具現化する圧倒的映像力を堪能するものだったし、それでよかった。正直、ノーランに人間を深掘りしたい欲は無く、「彼にとってのキャラクターとは、喪失や復讐といった分かりやすい動機を背負わせて/物語を進めるための駒」なのだと思っていた(『TENET』の主人公「名もなき男」でそれは臨界点に達する)。
しかし今作で彼は、言い逃れできないほどとことん人間と向き合った。核開発の是非に揺れる複雑な天才をIMAXカメラで真正面から捉えた。過去作の大味アクションのファンとしては地味に感じるだろうが、間違いなくノーランはネクストステージへ進んだ。彼の作品としてはほぼ初?のストレートな濡れ場があるのも印象的だ。人間の話なのだから、そこに切り離せない性が介入するのは至極当然だろう。

しかし彼がどこまでも劇場公開に拘る映像作家であることは変わっていない。オッペンハイマーの抽象的な脳内イメージや迸る閃光は巨大スクリーンで観られる興奮がある。が、今作の魅力は何と言っても音響にある。逼迫した劇伴、全身を打たれるような爆発の轟音の迫力は自宅鑑賞では味わえない。IMAXでなくても映画館では観てほしい。

今作のハイライトであるトリニティ実験の一幕。"あの" 瞬間が迫り鼓動が速くなるのを感じた。『福田村事件』の劇場体験に似ていた。
学者として/技術者として「成功」を喜ぶ感情と、もう世界は取り返しのつかないところまできてしまった恐怖と動揺と絶望が無い混ぜになった数分の無音演出。本当に一瞬が永遠に感じたのだろう、オッペンハイマーと感覚を共有できる。そして「あなたがどう思おうがこれは現実だ」と無慈悲に鮮烈に突きつける爆音。音響のあまりの力にどっと疲弊した。

オッペンハイマー1人に原爆開発と投下に関する矛盾した感情を背負わせ、彼の名誉挽回のために自省のポーズだけ取った伝記映画だという見方もあるだろう。
でも物語の行き着く先を見れば、これは「"この男" が "世界" を変えて "しまった"」ことの事実を、きちんと現代の反戦・反核・自国批判を乗っけて未来へ届けるための映画だと思う。たらればの話しでないだけで誠実だ。現実に原爆は成功したし今もあるけど、それを未来永劫使わない世界にしなければならない。当事者の国が何を偉そうに問題提起しているんだという話でもあるかもしれないが、アメリカが提起しなければ誰がするんだとも思う。

最後に、広島と長崎の描写が無いことへの批判について。オッペンハイマーはラジオでその事実を知るだけだが、「① 被爆した現地の映像を彼が見るシーンがある(その映像は映らない)」「② 身近な人が原爆に巻き込まれる様を想像するシーンがある」ので、オッペンハイマーは自身の目と想像力の届く範囲でその被害を認識している。(擁護のための擁護に聞こえるかもしれないが、)むしろ「自分の想像できないもののことは想像できない」という加害側の傲慢な残酷さが、映さないことで逆説的に浮かび上がっているのではという風にも思った。
そもそも広島と長崎に言及はしているし、これがオッペンハイマー視点の物語であることも考えると、「原爆を扱った映画なのに広島と長崎の描写が無い→この映画はだめ」は、批判として段階を飛ばしすぎじゃない?と思う。

当然ながら少なくない人にとって心理的ストレスやトラウマを刺激される可能性のある映画なので、観ろ観ろと勧めることはしないし自身の体調とよく相談して鑑賞してほしい。
が、公開前に日本で起こっていた批判、殆ど的外れでしたよとだけは書いておく。個人的には傑作だと思った。

その他、
○ ノーラン組のバイプレイヤーとして輝いてきたキリアン・マーフィーが、ノーラン作品史上最もセンシティブなあのシーンで大映しになって見せる何とも言えない表情。メタ的に見てもぐっとくる。
○ マット・デイモン、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーなどのみならず、ラミ・マレック、ケイシー・アフレック、ゲイリー・オールドマンといったオスカー受賞組の豪華キャスト陣がたった数分の出演でじゃぶじゃぶ使われていく豪華さがすごい。全員がシーンスティーラー。
○ トム・コンティがアインシュタインすぎてビビる。
○ ロバート・ダウニー・Jr.、多分歴代オスカー受賞者の中でも出演時間はかなり短いほうなのでは?誰か調べて〜。

連想作品
○ 『ソーシャル・ネットワーク』
○ 「イミテーション・ゲーム」
○ 『風立ちぬ』
※『アマデウス』未見なので観る。
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