みほみほ

オッペンハイマーのみほみほのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.0
💣💥2024年70本目💥💣(字幕)2
PREMIUM THEATER S10

正直なところ、伝記映画とクリストファー・ノーランって相性悪い?と思ってしまった。もしくはオッペンハイマーの人生が複雑過ぎるのか…

この不快感の正体は一体何だろう。
思っていた作品との違うからなのか、日本の脆さが露呈することへの不満なのか、原子爆弾に対する憎悪なのか、日本人だからこその嫌な感情なのかと悩んでみたがどれも少し違う気がする。

アメリカが持つ 特定の敵に対しての考え方の中にある、「未来の為」「人類の為」「世界の為」という一見綺麗にさえ思える正当化と、そこから団結し躍進する熱の高まり方への強烈な嫌悪なのかもしれない。なんだか煮え切らない。それでいて後を引く余韻もない。

基本的に伝記映画は長尺のものが多いけど、それに応じた見応えがあり 観終わった後に心にずっしり爪痕を残してくれる。本作は長尺の割に心に残ることも曖昧で、オッペンハイマーの移り変わる心情も分かりにくく、人間であり優秀な科学者である彼の掴めない人間性に理解を示そうとしたが疲弊してしまった。

登場人物が多いこともあり、あの時代の全体像を描くことはとても難しいことだと思うけど、クリストファー・ノーランだからこその持ち味である仕掛けと、映画の内容自体がマッチしていない気がする。このシーンに含みを持たせているからラストに持ってきそうだな〜とか、この特徴的な音はきっと意味があるな〜とかそういうのも楽しいんだけど、伝記モードになってる時に仕掛けられるとちょっといやらしく思えたり。

綿密なストーリーだけでなく映像面でもかなり支持されている監督だけど、原子爆弾の内部の映像表現を宇宙の銀河の神秘と重ねられても「うわぁ吸い込まれる綺麗さ。神秘的…🥺」とはなれない。

そしてオッペンハイマーの人生を描く上で、膨大な情報量の中から何をどう観せ どう表現するかとても楽しみにしていたけど、あれ?これ赤狩りの映画だっけ?って錯覚するくらい食い込んでくる要素が私はうっとおしくて、何の映画観させられてんだ?って思う瞬間も多くあった。

冷静に考えるとオッペンハイマーの映画で、原子爆弾の映画なわけではないのだけど、配分的に引っ張られ過ぎている気がする。原子爆弾投下以降の影の部分も含めてオッペンハイマーの人生だからじっくり描いているのだとは思うが、会話劇でたたみかけるシーンの多さに途中から脳が字幕を拒絶しだすし、ほんの一瞬でも字幕を見逃すと画面の中に移る人間が誰なのか混乱してしまうので、環境が整ったら吹替でも観てみたい。

なんとなく理解はしているつもりでも、しっかり理解出来たかは微妙なところで、会話(日本人なら字幕)を逃すと一瞬にして迷宮入りするし、政治家だけでなく科学者仲間にも様々な登場人物がいたので見極めが難しかった。

映像の見せ方にこだわっていたり、特定の登場人物だけ白黒になったり、映像面での工夫は長尺のメリハリとして感じられるんだけど、そういうのってこの題材に要るかな?とも思うし、人類が生み出した悪魔の兵器を神だプロメテウスだと表現したりするアメリカ含め西洋の「らしさ」が引っ掛かっちゃったな。

しかもこれ、クリストファー・ノーランじゃなかったらここまで評判にならないと思うし、原子爆弾の開発に至るまでの映像も、それが宇宙の銀河なら吸い込まれるように魅了されるのだけど、原子爆弾だから複雑な思いが勝ってしまって(どうしても惨状が頭にチラつく)そこに力を注がれましても……と思っちゃうのよね。

きっとオッペンハイマーを伝記映画として作るには、もっと適任が居たはず。クリストファー・ノーランが作る映画の数々はいつもあっと驚かされるけれど、たまに妙に合わない時があるので今回は残念でした。

ただこの作品を観たことで、ソ連との冷戦に繋がる空気感が何故生まれたのかを紐解くルーツの全体像を見れて勉強になったし、第二次世界大戦末期の東京大空襲あたりのアメリカ世論はどうだったのか…等、教科書で学んだ事だけでは分からない細かな部分の表現があり複雑ながらも理解を深める助けにはなりました。

戦争をする上で どっちが悪いも何もないけど、民間人を集中的に狙った大量虐殺は空襲の時点から執拗に行われていて、お互い様だと自分に言い聞かせてもどうしても理解出来なかったのですが、この映画を観ると当時のアメリカがこんな考え方をしていたんだという新鮮な驚きと、そこに日本の影響がまるでなく、あくまでナチスの裏に隠れる第二の標的のような存在で驚愕しました。日本でなければ、きっと他のどこかの国が標的になっていたんだろうし。

原子爆弾が科学者の手から離れ、国家レベルそして世界の驚異へと膨れ上がる流れの中で、オッペンハイマーの言葉なき慟哭を突きつけられた時、科学者の溢れる才能が人を殺す為の悪魔を生み出すことに利用されてしまった虚しさを痛感する。

科学者の脳内はきっと凡人とはかけ離れているんだろうけど、そこに全力を注いでしまった自分への罪悪感が一気に襲う絶望は想像も出来ない。人間がこの世に生きている限りで究極の皮肉。国の為に闘ったのに、戦後冷遇される兵士のような虚しさ。

日本人だからどうしても当時の日本を意識してしまうけど、原爆投下に関しての一連の流れは科学者達の原子爆弾が出来るまでの奮闘がメインになってくるので、日本という国自体は殆ど可視化されていないような感覚がまた歯痒く、あくまでオッペンハイマーの人生に重きを置いているので思っていたのと違う…とは思いました。

よくもこんな未知なエネルギーを持つ爆弾を落としてくれたよ…と皮肉の一つや二つ言いたくもなるし、贖罪だの後悔だの言われてもすっきりとするわけでもないですが、こういう視点を知っておくのも大切だと思うので観たことに悔いはない。

「原爆投下は間違いではなかった」
「原爆が戦争を終わらせ平和をもたらした」等と、テレビ特集のアメリカ人インタビューでは日本の国民感情を煽るかのようなコメントが多く、幼心に何言ってんだこの人達と理解に苦しんできたけど、どうしてその思考に陥るのかまで広い視点で知れる事はなかったので、アメリカの空気を理解出来たのは良かった。

今もまだ脅威は残り続けていて、平和な振りをしていた日本も不安定になってきているのを感じるけど、人類はきっと戦争を続けるのだろうから、オッペンハイマーが生み出した脅威は今日も根を張っている。抑止力の為と言いながら、その1発が新たな脅威に結びつくことにも気付かずに…

映画自体はピンと来なかったけど、考えることは無限に出てくる。人に強く勧めたくなる作品ではないけど、クリストファー・ノーランが監督なら多くの人が観るだろうから 様々な視点が見れるのは人類にはプラスだと思う。願わくば日本の視点描写があればなぁ…そこが無念。

ということでかなり長くなりましたが(このまま読んでる人は確実に居ない😇)、結果的にIMAXで観る必要性は全く感じませんでした。

IMAX信者でもないし、映画=IMAXじゃなきゃ!!みたいな風潮って昔からの映画文化(なんなら平成生まれの自分が小学生くらいの時の)を否定しているようで苦手なので、大人気シアターを避けてお隣の映画館にして正解でした。

大きな画面で映像がいかに綺麗で轟音に長けていても、人気シアター故に満席でぎゅうぎゅうに詰められるなんて御免だし、マナー悪い人も多い中で缶詰め。万が一お手洗いに行きたくなった時に出入り不便で気を遣うから、穴場シアターでじっくり観れる方が良いと思います。

会話劇が多くを占めてるし、IMAX信者でもない限り通常で良いと思う。映画自体を観ることに意味があるから、むしろ吹替版出たらじっくり噛み砕いて楽しむのが最適解かも。
みほみほ

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