噛む力がまるでない

とら男の噛む力がまるでないのレビュー・感想・評価

とら男(2021年製作の映画)
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 1992年に発生した未解決事件「金沢女性スイミングコーチ殺人事件」の元担当刑事が主演するミステリーである。

 企画のアイディアがすごすぎて、一体何を見てるんだ……という感じで、まるで実験映画みたいだ。アプローチとしては松本人志の『さや侍』に近いのだが、こっちは実際の事件を扱っていて、さらに関係者が主演なのでかなりの説得力がある。西村とら男(西村虎男)の存在感も堂々たるものだし、演技もものすごくナチュラルで、梶かや子(加藤才紀子)とのやりとりも面白い。加藤が頑張ってアンサンブルを引っ張っているのだろうと思われるが、聞き込みのシーンも実際の金沢市民である一人ひとりのリアリティを損なわないように慎重な姿勢で加藤が演技をしていて良かった。

 正直、途中まではこれならドキュメントでも良いのではと思っていたのだが、終盤からは一気に劇映画としての舵を切りだし、犯人をある程度イメージできる程度まで映して突き止めるということをやっている。もちろん西村の推理に基づく展開ではあるが、かなり大胆である。この映画の中核には西村の無念があるわけだが、ひょっとしたら実際の犯人へのメッセージを送る意図もあるのかもしれないとも思える。「俺にはわかっている」と西村がすごんでみせているようである。そう考えると、ポン・ジュノの『殺人の追憶』っぽいのかもしれない。

 そしてとても興味深いのは、事件を語る地元の人々の証言だ。事件を今でも覚えている人とか、うっすらとしか知らない人とか、それぞれバラバラで人ひとりが亡くなっているというのに人の記憶なんてものすごく頼りないものなんだな……と思う。そのあたりの世の中と西村のギャップに注目して見ると諷刺的にも感じられる作りだ。