ツナギ

イニシェリン島の精霊のツナギのネタバレレビュー・内容・結末

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

個人的にだが死というものは、孤独と退屈と絶望が揃う時強く感じるのだと思う。

何もにもなれず何も残せない、それは孤独を表しているのだと思う。本当に退屈で、恐らく一方通行の会話が延々と続くたわいのない日常に死を待つだけの人にとっては自分の時間を奪われたように感じるのだと思う。そしてそうではない事を理解しているからこそ何かを創りそれが後世まで残るという希望を抱く。それは変化を生むから。予期せぬイベントを待っているのだ。
酒に酔っぱらった時が一番退屈しないー
彼を表すときにおそらく全ての観客が共感したと思う。
彼は頭を使って考える事よりも、感情を使って優しくする事を選んだ。自己の為ではあるが彼は人やロバや動物など馬鹿にされるものにも優しい。恐らく作中で一番優しかった。(職業柄優しくないとダメな警官や神父はその職の傘をかぶって暴力を楽しむエゴイストである)そんな彼を人はよい奴と呼ぶ。
よい奴。このよい奴が曲者なのだ。可もなく不可もなく、面白みにかける存在。人に笑われるわけでも笑わせれる事ない誰かを笑顔に出来ない。現に彼は人を困らせたり退屈させる事しかしていない。乱暴に言えばコミュニケーション能力の低さや頭の悪さなど言えるが、個人的には彼は「満ちている」あの島で唯一満ちている人物だ。
本島に行きたい妹、創作したい友人、騒ぎを探している島民、そして戦争をしている国。皆現状に満足できず、退屈で鬱屈しているからこそ藪を突き泣きっらを笑う。
彼はちょっと前のブータンのようだ。
ただ高い水準で満ちてはいない、純朴故自らの姿形を意識したことがなく、また想像もしたことがないのは何かを知る、何か超えて思う事をしてこなかったからだ。
キツイ言葉で言えば家畜の様な狭い幸せだ。

映画も彼のたった一つの魅力であり、コミュニケーションの唯一の方法である優しさをどんどん削ってゆく。その代わりにどんどん奇行が増えてくる。あの分かれ道時に誰しもがこれで最後だと思うしきっと本人も理解した筈なのに、再び話しかけるのは彼の世界にそれ以外の方法がないからだ。そしてそこから、映画は徐々に嫉妬や虚栄心、怒りなど人間らしさを彼に付け加えて行く。優しさを犠牲にして生まれてくる人々が嫌悪し、とても大切なもの確固たる意識基エゴだ。
ラストシーンの行動は何処か安心感に繋がる。
それはあの行動によって彼は初めて一人で計画して決断して実行した。今までの過去に流されるままの彼が変わった瞬間である。それと同時に彼は満たされない島の人々同じになった。

あの島は世界の縮尺図だ。時に誰しもがそうなる。属する社会によってペルソナを分ける中で家も燃やすし指も切るし人を笑いもする。

登場人物の心理描写は現実的に描かれている。没入感というより、軽いデジャブというか、あっ!ここから空気悪くなるぞ みたいなイヤな予感が当たった時の様な印象で観やすい。派手なカタルシスなども必要としないのは観る側が既に人生で体験した事などと合わさって映画と観る側の距離が近づくからだと思う。
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