耶馬英彦

デューン 砂の惑星PART2の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
3.5
 高度な軍事技術を背景にした巨大で広大な舞台だが、支配層を中心とした登場人物だけのこぢんまりとした物語である。
 一作目のレビューをそのようにまとめたが、続編も同じことが言える。権力闘争と縄張り争いの中で、その他大勢がたくさん死ぬ。争いに勝つためには、武力で敵を圧倒する他に、権威を手に入れる必要がある。日本の戦国時代にどの武将も天皇の権威を味方にしたかったのと同じだ。
 権威には二種類あると、作中で説明されている。武力を背景にした力の権威と、宗教的な指導者、つまり神の権威である。神の権威があれば戦いに負けないと信じられているから、結局は同じことだが、神の権威を信じさせるには武力ではなく奇跡が必要になる。聖書でもイエスがいくつかの奇跡を起こす。

 軍事技術がとても進んでいるのに、作品の世界そのものは、権威主義の封建制度によって支配される中世のようだ。人々の多くは、主体的な思考や観察力、ひいては世界観に欠けている。その他大勢がたくさん死ぬためには、人々が無知で盲信的でなければならない。
 現代のありようとよく似ている。軍事や通信は発展を遂げているのに、人間のレベルはそれほど上がっていない。むしろ後退していると言ってもいいかもしれない。民主主義がようやく世界に広がってきたのに、独裁者や国家主義者たちが戦争を起こす。それはそういう思想を支持する人々が多いということだ。政治家のレベルは、思想も、倫理観も、年々低下している。
 文明が進んでも、人類は相変わらずだ。自分または自分たちを特別扱いし、他人をカテゴライズして敵や味方に区別する。共存よりも自分たちだけが繁栄することを望んでいる。これでは争いはいつまでもなくならない。世界平和は寛容と思慮を要件とするが、強欲と無知が支配する人類には、到底達成できるものではない。

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は2016年の「メッセージ」で哲学的な深い世界観を披露した。人類に対するその冷徹な見方は、本作品の登場人物たちも例外とはしていないように思える。ティモシー・シャラメの演じるポールも、聖人君子ではなく、マキャベリアンだ。

 しかしヴィルヌーヴ監督は、本作品ではひたすら物語を紡ぐことに専念したようだ。権力闘争の物語に権威や血統が登場するのは必然である。そうすると万人に理解されやすい。商業主義の大作だから、あまり深く考えるのは野暮かもしれない。IMAXスクリーンで鑑賞すると、大画面に加えて迫力のある音響が体に直接響いてくるから、それなりの迫力で楽しめた。
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