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デューン 砂の惑星PART2のはるのレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
4.4
まず先行上映をDolby Cinemaで観て、少し間を置いてから2回目を通常の(それでも音響は良い方)箱で。やはりDolby Cinemaでの椅子が強めに震えるほどの音圧は、あのサンドワームの咆哮に相応しい。

“PART2” の今作は、PART1の直後から始まっていたので、まずそこで驚きがあった。そこで撮影の内幕を想像したりもしたが、さすがに今作のために撮影されたもののようだ。撮影の手法も進歩しているからちゃんと見比べれば違いがわかるだろう。

さて、あの冒頭のシークエンスでスティルガーはジェシカとポールに「ここで待て」と言ったのが初回の鑑賞から気になっていた。だが2人はその通りにはせず、岩陰に隠れて見つかりそうになるが…、という展開。あれって「2人を囮にしようとした」ってことだよね。まず見つけさせて、周囲から狙撃する狙いがあったかと。そういう扱いを経てのあの「リサーン・アル=ガイブ」連呼になるのは、ちょっと可笑しい。スティルガーは愛らしいし、困った奴だよ。
そういうスティルガーに笑っちゃった人は少なくないと思うが、それはハビエル・バルデムらによって意図されたものだろう。というのも、やり過ぎればあまりに狂信的な印象を受けるから。すべて都合よく受け止める人物は滑稽であるべきなのだ。
シシャクリなんかは茶化すわけだが、チャニはそうもいかなくなる。彼女はポールに反発する一方で、心配で仕方ないという複雑な立場にいると思う。まあ、ゼンデイヤのしかめっ面は絵になるし、ヴィルヌーヴはそういうフェチなのかと思えるくらいだ。

それはハルコネン家の描写にも通じているようで、前作でもそうだが、彼らの邪悪さも滑稽さが付き纏う。ラッバーンの悪逆ぶりもデイヴ・バウティスタのおかげで軽いコントのような趣がある。そしてフェイド=ラウサ。
彼はその中で正当なヴィランの佇まいで、狂気というよりも純粋さを感じた。とても優れた人物だと評されてもいたし、彼がアラキスに長く滞在すればもっと大きな存在になったと思わせる。そのあたりはヴィルヌーヴ達の狙いだろうし、それでこそのあの決闘がある。ポールにとって邪魔な存在なのだ。それにしても、ロックスターであるエルヴィスを演じたオースティン・バトラーの配役はお見事と言うよりない。

ヴィルヌーヴがリンチ版についてリスペクトをしていることは知られているが、今作でもいくつかオマージュと思われるものがあり、なんとリンチ作品である『ツイン・ピークス』からの引用までもがあった。やりすぎのようでもあるが楽しいものだ。

全体の尺を3時間弱に抑えたことは、やはりヴィルヌーヴの矜持なのだろう。個人的には4時間でもいいんだよ、と言いたいし、アラキス世界の広がりを映像でもっと観たいところだ。
しかし思い返せば、そこに注力したのは前作であると言えるので、今作ではドラマを重視したということになるだろう。抑えた結果としてどうしても気になる箇所は出てくるが、その箇所にはチャニが関与していることが少なくないように感じている。つまりチャニの行動こそが重視されているのだ。
もとより、前作の冒頭の語りは彼女のもので、ラストも彼女のアップで終わる。そして今作もラストは彼女。
「3部作」を意図したヴィルヌーヴの判断として、重要であるはずのこの2作目を、チャニの力強さと慈愛に託したということなのかと。そして軸がぶれない彼女の対比としてポールの変化がある。あの平手打ちは重要なシーンなのだ。

1回目の鑑賞での受け止めが良かったおかげで、2回目は随分と落ち着いて観ることができた。よく出来た作品なのは間違いないが、どこかで抑制的に過ぎていやしないか、とも思わなくはない。いやそれはむしろ称賛になっているのか? まあそれでも、映画を観た帰りにティモシー=ポールのオラついた歩き方を真似したくなったりもしたけれど。

興行収入は前作をすで上回っており、おそらく3作目はあるだろう。そしてそこまでは間が開くことになる。2024年末には配信でのシリーズ『Dune: Prophecy』が予定されていて、こちらは前日譚(というには離れ過ぎているが)。ヴィルヌーヴは製作のみ。

残念ながら、現在進行中のイスラエル、パレスチナのことが鑑賞に影響してくることになった。一刻も早く戦闘を終了してもらいたいが、それで終わらないこともわかっている。しかしそれもまず軍事衝突をやめることが何よりも優先されるべきだ。
この物語で扱われる、信仰、生存、理想、そしてそれらの逆にあるもの。そうした事柄について考えるし、そうするとまた観たくもなる。この真面目な映像作家の今後もまた、さらに気になるところだ。
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