odamakinyan

機動戦士Zガンダムのodamakinyanのレビュー・感想・評価

機動戦士Zガンダム(1985年製作のアニメ)
4.0
ファーストは全話学生時代に見て知っていますが、このゼータは忙しくて見ていない回が多かったので、今回アマプラで全話鑑賞しました。長かったですが見てよかったと思います。
以前水星の魔女のレヴューで推測で書きましたが、ゼータは50年代の頃の左派の活動を元にしていると。今回見て特に前半部分がそうだと確認しました。特に導入部がファーストとまったく異なり、カミーユがクラブ活動をしている学生であること、また警察に捕縛される場面があることなど、ファーストの1話のいきなりザクの攻撃を受けるものとまったく違っていました。つまり左派の学生がそのような政治運動に参加して、すぐに入党することをためらうみたいな描写があったのです。それはその年代を過ごしたスタッフの方たちの思いからだと思います。またカミーユがそのような突飛な行動を起こす背景に、不和だった両親がモビルスーツの設計にかかわっていたが、それをカミーユに使わせないような背景があったこと、またカミーユが自分ひとりで設計していた機体がゼータガンダムであったこと、などが見ていてわかりました。この機体を設計というのはいかにも昔の作品だと思いましたが、アムロとは違う立場にあるというのは見ていて理解できました。そして全シリーズを通して、そのキャラクター性がぶれていなかったです。それは本当にそういうキャラを描きたいという目的があったからだと思います。また最終回もこのテレビ版のキャラクターだと、素直に受け止めることができました。気が狂うというのは実際にはいいものではないことはわかっていますが、物語の悲劇性としてひとつの終着点だったと思います。またそこに至るまでの話も、唐突ではなかったと思います。フォウとの悲恋、またロザミアの強化人間としてのおかしさを通じて、戦争が人の心をむしばんでいく過程が示されていたと思います。強化とは教化にも通じる言葉で、人は学習を間違えるとこうなってしまうという恐ろしさがあると思います。
またサブキャラクターで特に印象的だったのは、レコアロンドのふるまいでした。テレビ版を昔見ていた時は、ただのおばさんキャラぐらいに考えていたのですが、レコアぐらいの年齢になってみると、その女性としての立場やキャリアアップ志向、男性に期待してしまう心理がよくわかり、これを青年向けの作品で展開していたのだなあと思いました。ただそのレコアが毒ガス作戦を慣行していたのには驚きました。利用される女ということですが、容赦ない描写だと思いましたです。また最後エマと一騎打ちになるところも、もともとエマがティターンズからエウーゴに来て、それに押し出されるような感じでレコアがティターンズに寝返った感じでしたから、こうなってしまうのだなあと思いました。
他にもシャアやアムロの物語もあるのですが、とにかく多彩なキャラがたくさん出てきて、話の方もすごく年齢が上の人向けな感じで、やはりその50年代60年代に青春を送った人たちが、あえて若者向けに作ったという感じでありました。途中作戦名を忘れてしまいましたが、後半のエウーゴの作戦で、ブライトがシンタとクムに説明すると、子供らがあーわかったという場面があって、それがいかにも英語表現の単語だったので、このゼータは当時アメリカでも放映されたのだなと思いました。全体的に向こうのアメリカンニューシネマっぽい感じがあるのも、そのせいではないかと思います。
主題歌もすごくいい曲で、特に水の星より愛をこめては今でもお気に入りです。
odamakinyan

odamakinyan