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少女革命ウテナのno6clubのレビュー・感想・評価

少女革命ウテナ(1997年製作のアニメ)
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私なんかがこのような作品を語るなんておこがましくて、まだ文章にうまくまとめられないんだけど、これはすごく言いたい。七実回は確かにぶっ飛んだものが多いんだけど、27話は本当にシュールなギャグ回 で終わっていいんだろうかってことをずっと考えてる。あんなにおぞましいほど生々しいものなかなか見ないよ…あの話における卵って、女性の月経を表してるよね絶対に。「なぜこんなに楽しい一時を過ごせているのか。それはお前が卵を産むような女の子じゃないからだ」自分の理想の女性像処女性を押し付ける冬芽のこのセリフの愚かさったらないわよ…そして耐えきれずに卵を捨てに行く七実…でも目が覚めれば卵が割れている=殻が破られた(月経が始まった)ってことなんだと思う。かなり衝撃的な回だった。

このアニメが放送された2年前の1995年って、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件があって、どんなにまっとうに生きていようが、どうにもならない自然災害や無差別テロで命を落としてしまうっていうことが当時の人にはかなり絶望的で悲惨な年だったんだなって勝手に思った。ある小説に「ノストラダムスの予言が外れた99年以降に生まれた子供たちと、それ以前に物心がついている私たちとじゃ死生観は全く違う。」とあって、95年のこれらの出来事も同じことじゃないかなって思った。幾原監督も間違いなく影響を受けていて、それでウテナの「生きてるって気持ち悪いよね。どうせ死んじゃうのになんで生きてるんだろう。なんで今日までそのことに気づかなかったんだろう」という死生観が生まれたんだと思う。95年に放送されたエヴァの庵野監督は「オタクはアニメ見るな。現実見ろ」と旧エヴァで言い放ったけどそれに対し95年の悲惨な出来事を体験して2年たった幾原監督は「現実も所詮虚構」と悟りを開いたかのようにも感じた。

ウテナのテーマ、「抑圧された女性性、男性性の解放」ってことかなと自分なりに思った。ウテナの繊細なジェンダー感、女の格好をするのが嫌なんじゃなくて、女らしさに縛られるのが嫌だったんだよね…。でもハッキリと「(そういう意味では健全に)男が好きなの僕は!」と言ってたから暁生と一線も越えるし…。

こんなとんでもないものを生み出したら、それ以上のものなんか作れるわけないじゃん!と思えば14年後にピングドラムを出してるの鬼才すぎるのよ…「こんなすごものを作った人が、どうしてまたこんなやべえもの作れるんだ…」って感覚、中村明日実子先生の「同級生」を読んだあとに「Jの総て」を読んだときとおなじなんですよね…。

世界の革命から生存戦略っていう、ウテナからピングドラムへの流れで、次はユリ熊嵐、さらざんまいかな?しばらくは幾原ワールドにドップリ浸かるしかない…。
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