パパゲーノという言葉を初めて知った。
“死にたい”がデフォルトになっていても、それ言っちゃダメなやつ、ってことで押し込めている人はきっと多い。
この物語は、いまを生きている人たちに必要な旅なのだと思った。
だから簡単に答えも出ないしゴールにも辿り着かない。
でも、それが良い。
大事なことは、そういう気持ちを否定しないこと。簡単に流さない。ないことにしない。分かり合えなくても、“わかる”部分を大事にする。
パンデミックが始まる直前に読んだ本に書かれていた“ネガティブ・ケイパビリティ”という言葉。これがいまからは必要な処世術だろうなと読後強く感じた。パパゲーノは、それに近い。自殺以外の選択肢を選び続けることでなんとかそれを避けている、大した努力ではないように見えるかもしれない、でも当事者にとってはすごい労力なのかもしれない。
ゆったりと進む優しい物語。誰かに話を聞きに行く。自分のことを話して相手のことも話してもらう。となりで生きてる人が何を感じているか知らないまますれ違ってばかりだけど、急がず、何の得にもならないとしても互いにそういう時間を持つことは大事なことなんだと思う。モモのように思い切ったことは出来なくても、こうやって追体験は出来る。こうやって誰かもなんとかして生きてるんじゃないかって感じることがきっと誰かを救う。
辛いときに誰の顔が浮かびますか
私は、この問いこそが大事だと思って自分にも問いかけた。
モモの旅はまだ続くのかな。また彼女に会いたい。旅の続きを聞かせて欲しい。