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遺恨あり 明治十三年 最後の仇討のdaiyuukiのレビュー・感想・評価

4.7
江戸城の無血開城から間もない慶応4年5月。秋には明治と年号が改められる武家社会終焉の年。九州の山深い小藩、秋月藩でその事件は起きた。
その夜、秋月藩の執政・ 臼井亘理の屋敷に同藩の過激攘夷派の藩士の集団"干城隊"が侵入。亘理の首をとり、その妻・清を惨殺したのだ。
開国派のリーダーである亘理を気に食わない攘夷派の秋月藩国家老・吉田悟助(石橋蓮司)がそそのかしたのだった。 
物音に気付いた亘理の息子・六郎は、父のもとに駆けつけるが、そこで目にしたものは両親の惨い遺体と、暗い部屋の隅にぼう然と座っている、幼い妹・つゆの姿だった…。 
清の兄・四郎兵衛、亘理の弟・助太夫は、すぐさま国家老の吉田に仇討を願い出る。
だが、吉田は藩の法度で私闘は禁じられていると言い、この事件を闇に葬り去る。
しかも、干城隊へのお咎めはなし。その一方で臼井家には50石の家禄減知という、あまりにも理不尽な処分が下され、11 歳の六郎は父母の仇討ちを胸に誓った …。 
明治5年。廃藩置県で武士は家禄を失い、士族という名の失業者になった。
16歳になった六郎(藤原竜也)は、なか(松下奈緒)と力を合わせ、下手人を調べ上げていた。  
父を殺したのは一瀬直久(小澤征悦)、母を殺したのは萩谷伝之進(岡田浩暉)であると…。だが、助太夫は早々に仇討をあきらめ、四郎兵衛も「仇討など忘れろ」と六郎を諭し、下級役人の職を得て東京に出て行った。
六郎は、廃藩置県や廃刀令と時代の流れに逆らえず教職を勤めながら一瀬を探していた。六郎は、山岡鉄舟(北大路欣也)の下で書生として働きながら、剣の修行を積んだ。なかの協力で一瀬が東京裁判所に勤めていることを知り、六郎は一瀬を討ち本懐を遂げた。
吉村昭の小説をドラマ化。
明治維新が成り、武士の世が終わる中で、敵討ちして名誉が残らないことが分かっていても、武士の本懐を遂げようとする六郎の行為は、愚かなようでも、時代が変わっても変わらない美徳がある。時代の流れの中で仇討ちに生涯を懸けた六郎や時代に合わせながらも山岡鉄舟に、現代の日本人が忘れかけた魂を見ることが出来るし、復讐の虚しさもちゃんと描かれている傑作時代劇ヒューマンドラマ。
北大路ま欣也演じる山岡鉄舟が藤原竜也演じる六郎に稽古をつけるシーン、六郎が一瀬を討つシーンは、本格的な殺陣が楽しめる。
六郎に待ち受ける結末が、渋い余韻を残す。
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