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屋根裏のラジャーのkuroのネタバレレビュー・内容・結末

屋根裏のラジャー(2023年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

アニメーションとしての絵については,新しい表現手法で児童向け絵本をアニメにするには親和性が高いと思った。
ストーリーとしての軸が定まってなく,幼少期のイマジナリーフレンドをいつまで抱えるのかという発達心理学の問題に対して,主人公の亡くなった父親への想いを重ねるのはある意味呪いのようなもので,母親にとっての冷蔵庫のようにたまに思い出して懐かしむのが健全なあり方である。
悪役のMr.バンティングが,老人になってもイマジナリーと一緒にいる歪さが描かれているし,彼には悪としての魅力が欠片も無く,ただただ子どもをつけ回す気持ちの悪い老人でしかない。彼のイマジナリーが,アダムス・ファミリーのウェンズデー似というところがさらに彼の人生のキツさを想像させる。
イマジナリーの移動ルールが不透明で,彼らは自ら扉を開けられないといいつつ,ペット用の押戸を抜けることはできるとか,ボンネットに飛び降りたり,自転車をよけようとしたりと,物理的制約を意識しているのだが,その制約は本当に課せられているのか疑問である。
創造主に忘れられたイマジナリーたちは図書館で消えることなく存在できるという設定は,忘れられたイマジナリーにとっての意味づけが分からない。消失=死と恐れるために不死のための図書館というのは人間が死ぬという点から納まりが悪い。
イギリスへの輸出を前提としているのかと思えるくらい,看板などは英語表記中心で,ところどころ日本向けに日本語を差し込んでいる。病室にもクラスメイトからのメッセージが英語で書かれているのだが,そこになぜか千羽鶴があるというミスマッチ。
冒険活劇になりえず,つらい日常を乗り越えるための励ましにもなりえず,今後の人生のあり方を考えようとする起点にもなりえず,観客は置き去りにされて,原作を読んではまったプロデューサーの想いのたけをぶつけられたような映画である。パイロットフィルムはできあがったから,ここから劇場映画としてブラッシュアップしていこうという出来映え。
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