111分を用いて説かれる『恋の定義』には学術的根拠がある訳でもないのに、まるで私たちの持つ疑問への答え合わせの様に頷けてしまうのは、論理的でなくても、文脈として成立していなくても、『恋』について同じ感覚を知るタイミングを我々が各々に経てきた証であって。
たとえ現実においてこの『恋の定義』が「正解」でなくても、この映画にとっての「正解」はこうであって、観客の経てきた『恋』への思考を共有し、整理する力を持っていて。
それはなんだか、上手く言えんが、かつての『憧れ』と、それを見つめる今を接続する様で、とても良いじゃないか。