未島夏

雑魚どもよ、大志を抱け!の未島夏のレビュー・感想・評価

雑魚どもよ、大志を抱け!(2023年製作の映画)
4.1
東京国際映画祭 ワールドプレミアにて



勇気を出す事が大切だと説くメッセージ性は、物語を選ぶと個人的には思っている。

たとえばラブストーリーやサクセスストーリーといった、平凡な主人公が何かを獲得するために奔走する物語では尊いメッセージになり、自分もそういった作品はとても好きだったりする。

しかし一転、社会や環境上の弱者がその状況を打破するには、強者やその組織に対してある種の勇気を"出さなければいけない"のだと説くメッセージには、同意しかねる所がある。



2016年に公開され賞賛を浴びた『湯を沸かすほどの熱い愛』という映画がある。
この作品は確かにとても良く出来ていて、感動できる部分も多々あるのだけど、主人公である母親が、いじめを受けていて登校したくない娘に対して『逃げちゃダメ』と叱り、「勇気付ける」描写がある。

現実において家庭それぞれの方針に基づいてこういった教育が行われ、結果として良い方向に向かったのなら確かにそれはそれで良い。
しかし実際は必ずしもそうではなく、『逃げてはいけない』という説き伏せが当人の逃げ場を奪い追い詰める事にもなりかねないし、そもそも目の前のどうしようもない脅威から何故逃げてはいけないのかという、個人が持つ生存意識や人格を不当に否定する事にも繋がる。

そういう歪んだ教えを、多数の人の目に触れる創作物で行う事は罪ですらあると思うので、僕はどうしても『湯を沸かすほどの熱い愛』を好きにはなれなかったし、これからも肯定は出来ないと思う。



前置きが長くなったが、本作『雑魚どもよ、大志を抱け!』では上記の様な勇気を出す事によって変えられる何かや、獲得する大切なものを『友情』と掛け合わせ、重要な要素として描いている。

そしてそれは、弱者と強者のヒエラルキーが克明に示され、社会がもたらす構造の縮図として映された環境の中で描かれる為、『湯を沸かすほどの熱い愛』と同じ罪を犯す危惧がある。

しかし本作が「弱者が状況を打破する為には勇気を"出さなければいけない"」とただ教えるだけの言説と違う点は、主人公が勇気を振り絞るに至る一番の理由を「自身が勇気を振り絞れなかった事への後悔」に置いている点だろう。

誰に叱られたり、説き伏せられたりするのでもなく、自分自身が勇気を出せなかった事によって失ったものを自覚し、行動する事で勇気を振り絞り、大切な何かを獲得するのである。

それをしても尚、本作自体が社会的弱者に対して勇気を"出さなければ"状況は打破できないと訴えている事には変わりがなく、とても危うい所にあるとは思うのだけど。

それでも、後悔をきっかけにする事で当人の自主性を第一に置きながら「"時には"勇気を出す事も大切だ」とする語り口には、僕自身も共感出来るし、訴え方としてとても真っ当だと感じた。

もし本作が「逃げてもいい。"それでも"勇気を出す事は時に重要だ」の「逃げてもいい」の部分にほんの少しでも触れていれば、とんでもない傑作になっていたと思う。



乳ガンの摘出手術で片乳を失った母。
イタズラによって死の危機に晒される生き物。
親友の父は人殺しの元ヤクザ等々…
事象から漂う死生観を終始帯びた中で展開する物語の中には、明確にされたヒエラルキー内で育つしか無く、自分達を脅かす強者の上にもさらに強者がいる事が示され、茫漠とした社会への絶望感、息苦しさを全て背負わされた小学5〜6先生の子供たちの姿がある。

時折死についての描写が掠める事で、子供たちの生きる壮絶な社会がいつ誰の首を絞めてもおかしくないのだと観客に自覚させ、その壮絶さは物語上の1988年から現代に至るまで変わらないどころか、より苛烈さを増していると思い知らされる。

そんな中で振り絞られる"強いられた訳ではない"勇気には、世界を変える力さえもあると、あえて大袈裟に、高らかに叫びたくなる、そんな映画だった。
未島夏

未島夏