ジャン黒糖

恋は光のジャン黒糖のレビュー・感想・評価

恋は光(2022年製作の映画)
4.0
今年上半期のベスト10に本作を挙げる方が多く、気になり6月に駆け込み鑑賞!
(いまはもうリコリスピザとかエルヴィスとかわたしは最悪。とかバズ・ライトイヤーとかの感想飛び交っててみなさんのスピード感、羨ましい!笑)

【物語】
大学生の西条は、気付いた頃には恋をしている女性は光って見える能力を持っていた。
そんなある日、彼は同じ大学に通う文学好きの女性・東雲に出会い、“恋の定義をしてみませんか”と誘い出す。
西条と東雲の“恋の定義”をめぐるやりとりは、彼を見守る幼馴染の北代、略奪愛ばかり繰り返す宿木南を次第に巻き込んでいく…。

【感想】
「恋とは、誰しもが語れるものだが、誰しもが正しくは語れないものである」

これ、作り手たちが実際に恋にまつわる古今東西の文献を読みながら、試行錯誤何回も原作漫画を映画向け脚本にアダプテーションしていく過程で思い付いた言葉らしくて、原作にはないけれど、まさにこの映画のテーマを言い当てていると思った。

西条の幼馴染である北代は西条から見ると光らない、一見“恋をしない”ように見える女性。
文学少女である東雲さんは過去の文献を頼りに、理論的に“恋の定義をしたい”女性。
一方、「本能のままに恋することに理由必要?」と、東雲さんに疑問を呈するも、自分自身は感情に素直なあまり略奪愛ばかり繰り返してしまう“宿木嬢“は“正しい恋の仕方を知らない”女性。

そして西条は、女性の“恋を可視化できる”能力を持ち合わせていながら、そんな彼女ら3人の姿を見てますます“恋”とは何か、わからず翻弄されていくことになる。

まさに「恋とは、誰しもが語れるものだが、誰しもが正しくは語れないものである」


お話自体は監督自身、脚本を再考していくなかでウディ・アレン監督作を意識したこともあったとおっしゃられている。
ウディ・アレン監督作のような、皮肉なユーモアは本作の場合ない。むしろ真逆というか、"恋とは何か"という至極ピュアな命題に対し、様々な角度から問い直す会話劇となっており、この会話の醸し出す雰囲気、哲学の香りこそ、ウディ・アレンの拗らせた登場人物を日本風味にしたような味わいだった。

かくいう自分自身も「恋ってなんだー!!」と考え巡らせながら彼ら彼女らの会話劇に食い入るよう観て、映画化するにはちょっとボリュームのある原作漫画をギュッと詰め込んだ本作に、ぶっちゃけ観終わる頃には若干、“恋について考えすぎ疲労”を起こしてしまった笑


映画ポスターにもある「恋とは、本能?学習?」という2つの考え方に対し、この映画はこの映画なりの結論、証明を導いて終わるのだが、概念としての"恋の定義"をすることと、実際の当事者として"恋をする"ことの自発さは完全に非なるもののように思う。
その点、西条自身が最終的に導き出した“恋の定義”とは、前者の概念としての定義ではなく、後者の西条自身のパーソナルな意味での定義のため、彼が目を瞑った時に思い浮かべた景色はなんだったのか、なぜ最終的にそのような結論へと導くことになったのかはもう少し知りたかった。
ただ、正しく言語化できないのが恋というのならば、それも仕方ない気もするし、そこをあえて見せなかったことで、我々観客にとっての“恋の定義”とは何か、投げかけられた気もする。


そして、その点において、この映画の主人公は西条だけれど、この映画のシーンの最初と最後をだれが飾るか、に注目すると興味深い。

この映画は最初と最後が、同じ人物、同じ場所、同じような構図となっており、しかもズーイー・デシャネルがボーカルを務めるShe&Himのかわいらしい楽曲が最初と最後を彩ってくれる。
(以前、『(500)日のサマー』のレビューでも書いたけれど、自分にとってまさに大学生のとき、She&Himの虜になったからこそ、この楽曲起用はテンション上がった!!)

この、最初と最後の印象的な場面に映るその人物は、冒頭出てくる格言でもある「恋とは、誰しもが語れるものだが、誰しもが正しくは語れないものである」を、まさに体現しているともいえる、4人中もっとも一般論・総論としての”恋の定義”に置き換えできない人物である。
そんな人が最後にこぼす一言こそ、劇中繰り広げてきた”恋の定義”にまつわる様々な考察に対し、私的で清々しいトドメを刺して終わる。
曲の効果もあいまって、「あぁ、なんてポップで可愛い、おしゃれな映画なんだ」と余韻が明るくなった。



この4人を演じた役者さん、それぞれフレッシュで良かった〜。
主人公・西条を演じた神尾楓珠さんは、実写だとあり得ないだろう〜とちょっと思えるようなクセがすごい古風な喋り方をする西条を、笑えるし、北代同様、思わず応援したくなる対象として、見事に演じられているなぁ、と。よくみたらちゃんとイケメンなのな!
西野七瀬さん出演映画として自分は『孤狼の血PART2』しか観たことなかったので、、、本作の誰に対してもゆるーく接する柔らかい雰囲気はとても合ってた。
馬場ふみかさんは画面から放つ「やっぱすげぇよ馬場ふみか」感、といいますか、勝ち気な女性が良い意味で似合ってた。

主要4人の名前に“東西南北”が入っていること、主要女性全員から何かしらの形で主人公の男性が好意を向けられることから、思わず『いちご100%』を思い出さずにはいられなかったのは私だけではないはず…笑

あと、近作ではロクでもない父親の娘として散々な目にあってばかりだった伊東蒼さんが、本作では幸福感に包まれた役で嬉しかった!笑


そして、倉敷を舞台に、西条と東雲さんが歩く景色、東雲さんの住む家、西条が一人暮らしする家など、2人の世界観には常に、日本らしい古風な佇まいが漂っており、一方の“宿木嬢”はワインの合うビストロなどわかりやすく大人な雰囲気、北代には山、川、海などの自然のイメージや、電車、美術館など、キャンパスを離れた、ある意味常にデートらしいデート場というか、日常から離れた景色が印象的に映えている。
この古風といまどき、洗練された街並みと自然風景、といった景色のギャップは、そのまま各キャラのギャップにもつながっており、物語全体が常に登場人物たちの主観的でありながらどこか客観性も持ち合わせているように感じた。




はい、という訳で、個人的には昨年の『まともじゃないのは君も同じ』に続き、日本の恋愛映画、こういうのもいいじゃん、と推せる1本でした!
ちなみに今回のパンフレット、東雲さんのブックカバーみたいな装丁になってたり、"子供向け"交換ノート風になってたのも芸が細かくて良かった!
ジャン黒糖

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