はる

TAR/ターのはるのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.5
これほど面白い作品がどうして日本では公開が遅れたのか。そういう恨み節も言いたくなる。「ケイト様」というようなノリには距離を置いているが、そのケイト・ブランシェットの演技が評判になっていて、これは気になっていた作品だった。だから初日に観て、3週間ほど経った。

まず、彼女が指揮者を演じるということでの期待が大きくあった。それは自分の持っている指揮者へのイメージに、あの「ケイト・ブランシェット」が入った場合の拡張がどうなるか、への関心による。

あの序盤の講義で、生徒をやり込めるくだりがある。そこで彼女がどういう人物なのかは、ある程度わかる。と同時に「どっちなのか」は考えさせられる。「芸術への信奉者」なのか「とにかく嫌な奴なのか」。それを、アンナ・ソルヴァルドスドッティルは知らないが、大バッハのことは知っている自分(そして多くの観客)に判断させようとしているから、上手い導入だと言える。
そうしてリディア・ターへの興味は一気に増すのだ。

劇中でもチラと出てきた「リディア・ターのWikipedia」は気になるところだ。トッド・フィールドたちは実際に作ったそうだが、現実世界のものに合わせて虚構も混じっているのかもしれない。そして、これはそういう事柄を描いた作品だと思う。セルフ・プロデュースによって逆に飲み込まれる、みたいなのは珍しいものではないが。

今作によってリディアのことを実在する人物だと感じた人たちがいるというのは、「うーん」と思うよりないが、その一方で「彼女がEGOTをそれぞれどのようなアプローチで獲得したか」を考える人たちのことは面白いなと思う。それはこの現実世界とリディアの接点を考えて、今作における彼女の来し方、そして成り行きについて考えることでもあるから。どうやって「リディア・ター」は成功に至ったのか、それは彼女のキャリアの最善だったのか、などなど。キリがない。結局、自分も「リディア・ター」についてあれこれ考えを巡らすことになった。

ここまで書いてマズいなと感じたのは、どう考えても長くなるから。
やはり「観て感じた」ことが重要だと思う。個人的には「リディア・ター」は「リンダ」「不寛容」「ジェンダー」「男社会」そして「芸術」に対して立ち向かい続けた人物だったと捉えている。そして、その原動力の大きな部分が「野心」であろうことも。
優れたリーダーで、繊細さも併せ持つ。狂気に思えるところがあるかもしれないが、凡そ計り知れない才能には、そうした見え方もされがちではないか。
この辺りの自分の中のリディアへの反応も、ケイトの超絶演技があってこそだろう。『ブルージャスミン』での彼女がとても好きなので、今作での成り行きも重ねて観ていた。

おかわりをして答え合わせをするより、彼女に対してフラットでありたいと思えた。
今作がむしろキャンセルカルチャーを肯定するものだ、という見方も当然あるだろう。あのラストの成り行きを偏見だとする見方も。リディアの直接のモデルと言われる女性指揮者は今作を批判している。その彼女の立場だからこそ言えるものだった。
しかし、自分のこの作品への感じ方はポジティブなものだ。

ちなみに、調べないとわからなかったエリオットのこと。彼がどうしてあの指揮台にいたのか、殴られるべき人物なのかなど。
そして、何と言っても面白いのはあのトランペットのこと。リハーサルの時点で「遠くから聞こえるように」のためのアイデアだったのが、見事に回収された。彼だけがあの交響曲の導入で特別に聴衆からも見えない場所で演奏を始める。そしてリディアが現れる。ここで「あれ、お咎めなしだったのか? でもこんな演出の演奏があるとも思えない」となって、あのパンチに至る。

観終わって帰ってきて反芻すると、あのシーンがめちゃくちゃ面白いことに気づいた。つまりリディアはあのトランペット奏者が身動き取れない状態になっていることを把握していて、あの暴挙に出たのだ。弦楽器ならまだ声が出せる。しかしトランペットでは手は拘束され、口は塞がれているのと同じだから。

気になることがある。「あの奏者は横に来た時に気づいたのかどうか」。これは気づいたと考える方が遥かに面白いのでそっちを採用している。そしてあのショットの構図のためにトランペットの位置変えがあったと思うと「上手すぎる」と言うより無い。
バイオリン奏者が楽譜にあの行為を書き足すのも最高だ。

キリがない。
リディアは、あのタイミングでオルガをプライベートジェットでNYに連れていくような人物。憎めないよなあ。
彼女は源流に戻って、また「音楽」を拡張していくのだろう。
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