sym

TAR/ターのsymのネタバレレビュー・内容・結末

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

※長いです…!


こんなにも見る人によって解釈の変わる作品も珍しいのでは?
構成も変わっていて、すごく工夫されているし、見終わったらまた見返したくなる。
見る側にかなり委ねられているというか、説明もなく分かりにくい部分も確かにありますが、答えが一通りだけでない見方ができるので、面白いなと思いました。
どうとでも捉えられるというか、誰視点で考えるかによって全然、感じ方が違ってくるんじゃないかなと思います。

私自身クラシック好きで、勉強していた経験もあったので、ターがどれだけ真剣に音楽に向き合っているのかが分かりましたし、相当の情熱を注いで、研究した上で自分のスコアを作り上げているのが分かったので、実力に裏打ちされたからこその、あの立ち居振る舞いなのだろうなというのは想像できます。すごいよどみなく喋るし、自分が正しいと信じて疑わない感じ。つよつよ。

でもそれがケイト・ブランシェットにすごいハマってますよね。ただ話している所も説得力があるし、指揮している場面も気迫が感じられる素晴らしい演技でした。ピアノも指揮もオケに指示するときに話していたドイツ語も、本人が演じているそうなので、相当練習しただろうな。
魅力的な部分がないと、ただの鼻につく奴になってしまうので、ケイト・ブランシェットがすごくいい仕事をしてるなと思います。カッコイイんだもん。

カプランはお茶してるときから私は気に食わなかったです。いや、お前自分で考えろよと。同業者にやり方を聞いちゃうのは、実力がない指揮者だと自己紹介してるようなもんですよね。
だから後半でマーラーの指揮を横取りされたとき、ターがあれだけ怒ったのも私は納得しちゃいました。あのときカプランが指揮で使っていたスコアが、本当にターのものだったかは分かりません。でも力量のない指揮者が、冒頭のトランペットのソロを別の場所から吹かせようなんて発想、出来るはずがないと思うんですよ。
つまり丸パクリじゃないにしても、少なくともターのスコアを見た上での演奏だったんだろうなと。「本番までに完璧に作り上げて、本番では、それをなぞるだけ」みたいなことを言っていたターが、一生懸命作りこんだスコアを、あんな風に美味しいとこだけ持って行かれたらキレたくもなりますよ。あの場では大衆からすれば完全にターが頭のおかしな人で、味方は居なかっただろうけど...私は、すごく気持ちは分かるな〜と思っちゃいましたね。

全体的には、人間関係って複雑だよねっていう話です。権力者を巡る周囲の人間関係だったり、パートナーとの関係、上下関係、恋愛関係、とてもよく描かれていて、面白かったです。

大学での講義のシーン、私は別に酷いとは感じませんでした。マックスに対する態度も、音楽に対しての姿勢を問うようなものだったと思うので。学びの場で幅を狭めるようなことをしないでほしいから、ああいうふうに言っただけだと思うし。(いくらなんでもクラシックを学びに来てるのに、バッハを無視することはできないと思うし...)折角いい環境で音楽を学べる状況なのだから、自分のお気持ちより大事にするべきものがある、と言いたかったんじゃないかな。でも捉え方で人によって全然感じ方が違うっていうのが、この作品のすごいところだなと思います。


そしてカリスマ的で権力のある人間の周囲には、複雑な人間関係が築かれがちだと思いますが、ター自身が自分が置かれている状況について、もう少しそれを分かっていたら、こんなに拗れることはなかったのかなと思います。

自分の意見が正しいと信じて疑わないターが、自分が揺らいだときに誰かに頼ろうとしなかったことが問題だったのかなと。プライドが許さなかったのかもしれないけど。
せめて素直にパートナーのシャロンには相談していれば良かったですよね。
それまでの女性関係の問題は分かっていて目を瞑ってくれていたのが、「大事なことを自分に相談してくれなかった」ということで完全に信頼関係が崩れてしまって、見放されてしまった。いくらターが君は特別だと伝えても、それを信じられるだけの態度をとってなかったですしね。

娘のペトラのことも、実の娘でなくても、本当に愛していたと思うんですよね。あんなに悩み苦しんだ末に完成した曲をペトラに捧げるのは、ターにとっては最上級の愛情表現だと思うので。

フランチェスカのことも、ちゃんと副指揮者に選んであげるべきだった。ターが目をかけるくらいだし、実力もあったんでしょうから。(コンマスのシャロンにせよ、ソリストに選んだオルガにせよ、見た目とかの好みもあるにしても、音楽的な実力がなければ選んでないだろうし、ちゃんと実力があるという描写がされてますよね)

セバスチャンに言われたことに動揺して、急に自分の意見を曲げてしまったので、そこからおかしくなっていったというか。多分それまではターもフランチェスカを選ぶつもりだったと思うんですよね。
そこはブレずに、誰に何と言われても彼女を選んであげるべきでした。選ばなかった場合どうなるか、考えなかったんですかね?フランチェスカは自分を愛しているから大丈夫とでも思っていたんでしょうか。

人間どうしが関わっている以上、その気持ちを無視することはできないのにな。ターはスコアの上でなら「作曲者がどういう意図でそうしたのか」を汲み取ることができる(しかも作者の意図を汲み取って再現することを指揮者としての信条にしていた)のに、実際の人間関係では、他人の気持ちを慮ることは出来なかったんですね。そこがすごい皮肉が効いているというか。

実家に帰ったときに兄が言ってたことは結構、的を射てますよね。どこから来てどこへ行くか、分かってないみたいな。(人生が分かってないって字幕には書いてあったかな?)ここにきて迷子みたいになってしまった。

居場所がなくなって異国の地へ行ってからも、作者の意図を丁寧に汲むという、ターの基本的なスタンスは変わっていないように見えました。彼女はインタビューの中で、指揮者は「自分が起点となって時間を操る」と言っていましたが、最後の場面では、その指揮とは全く異なる形、モニター音に合わせて指揮を振る姿で終わりますよね。これを指揮者として落ちぶれたと見るのか、彼女自身が考えを変えたと捉えるか、それによっても意味が変わってくる気がしますね。

でも以前のターなら、こんな形での指揮は断固拒否でしょうから、より自由な、本来の意味の音楽を取り戻したという感じなのかなと思いました。それは彼女にとっては、いい変化だといえるのではないかなと、私は思います。
sym

sym