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The Strange Thing About the Johnsons(原題)のsymのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

ネットで話題になっていて、気になって見てみました。

作品として完成されていて、普通に素晴らしかった。
卒業制作ってことは、学生時代の最後の作品ってことですよね?すご。

なんていうか、アリ・アスター監督ってピュアな瞳で「みんな不安になればいいな」とか言うから、すごいサイコパスなのか?と思いきや、そんなことないですよね。
「自分が伝えたいことを、誰もが同じように感じ取れるように」と考え尽くされた結果が、作品作りに反映されているような気がします。

父と娘の関係だったら、まあある話じゃないですか、これって。いや、あっちゃいけないんだけど、でも世の中では実際ある話だし、下衆な話、そういうのを娯楽に落とし込んじゃってるものも存在するじゃないですか。
そういう目で見られないように、父と息子の話にしたんだろうな、よく考えられてるなと思います。

性被害の話として見た時に、この作品の構図からすると「まさか、ありえない」「そんなことがあってはいけない」と誰でも思うでしょう。でもこれが男女だったとしたら、「そんな格好していたから」とか「きっと思わせぶりな態度を取ったんだ」とか被害者を責めるセカンドレイプや、「まあこんなにスタイルが良かったら、気になっちゃうのも仕方ないよね」みたいな擁護が謎にわいてくるんですよね。

この作品を見た人は、性被害の被害者と加害者の関係性が余計な情報なしに理解できて、ただただ加害者が間違っていて、不快で許されないものだと理解できるんじゃないかなと思います。まず、その作り方が秀逸だなと思いました。

息子が「気持ちを受け入れてもらえた」と思ってしまったところが、悲劇の始まりでしたけど、息子が眺めてた写真にクローズアップするところから、もうゾッとしますよね。

父親は、親としての責任だとか、告発すれば妻や嫁、色んな人を傷付けるだろうことを考えて、身動きが取れなくなっていく。それでも、なけなしの力を振り絞って、作家として作品に昇華することによって、何とか自分を保とうとしたんでしょうね。

多分、不特定多数の人が性被害に遭うようなことがあれば、この父親は告発していたと思います。でも息子の「愛」は自分に向かっている。「これが愛だとすれば自分が受け止めるしかない」と思っていたんでしょうか。でも一方的で相手を顧みない言動が愛と呼べるはずがないんですよね。

まず自分の気持ちと向き合うこと、何を大事にするのか間違えないよう、見極めることが大切だと言いたかったのかなと思いました。

自分の気持ちを固めた上で息子の気持ちに正面からちゃんと向き合っていたら、結末は違っていたかもしれません。
母親も、気付いてしまったときは混乱したでしょうし、恐ろしかったでしょう。夫のことを思えば、見て見ぬふりをしてしまいたくなるのも分かります。でも気付いた時点で向き合うべきだったんでしょうね。せめて夫と話をすべきだった。息子にmonsterだなんて言いたくなかっただろうな。

選択を間違えたことによって起こる結果、ズーンと重くのしかかるラスト、この監督らしさが感じられました。
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