『暖流』
Warm Current
1957(昭和32年)
大映
「私の今の財産と借金は同額だ。借金を返すだけなら病院を手放せばいい。しかしあの病院は私が一生をかけた病院だ。手放したくない。病院を捨てずに借金だけ返す。これはきみ、非常な根気と情熱が要る厄介な仕事だ。しかし厄介であればこそきみに頼むんだ」
「TVかけてもいいかしら?今ごろの時間なら漫画をやっていますわ。あなたの難しいお話を聞いていましたら急に漫画を見てみたくなりましたの。失礼ですわね。わたくしって」
「院長さえいなくなれば病院は我々のものだ」
「さようで。あの馬鹿を担ぎ上げて好きなことができるわけで」
「愛するってすれっからしになることよ」
「日疋(ひびき)という男は革命向きやな。平和になったら要らん男や」
劇作家で小説家、演劇賞に名前を残す岸田國士が1938年(昭和13年)に朝日新聞に連載した小説。翌年松竹で映画化。1957年と1966年に再映画化。6回もテレビドラマ化されている。大映版は1957年。時代背景を原作の戦前から戦後に変えている。
私立の志摩病院の院長は自分が癌で余命1年と分かり病院の立て直しを若い実業家日疋(根上淳)に依頼する。
日疋はドラ息子(船越英二)、ワガママ娘(野添ひとみ)、元華族の義母達、家族の浪費をやめさせ別荘などをどんどん処分する。看護婦ぎん(左幸子)を使って病院の内情を探る。
院長の死後、病院を株式会社にして新しく外部から院長を招き病院を食い物にしていた事務長や医師たちをクビにする。
根上淳と野添ひとみと左幸子の三角関係の行方。
追い出された反日疋派の卑劣な誹謗中傷との闘い。
盛りだくさんな内容を脚本家白坂依志夫はスッキリ整理して増村保造はテンポよく描いていく。上映時間90分なのに密度が濃い。
主役は根上淳なのだけど院長の娘啓子(野添ひとみ)の性格や運命を見ていると『風と共に去りぬ』のスカーレットの運命を思い出した。気の強いお嬢様キャラ。男には簡単になびかない。エーリヒ・マリア・レマルクの『黒いオベリスク』を原書で読むインテリ。アメリカ帰りでもある。
病院を存続させるため志摩家の不動産は全て売却され下町の印刷屋の向かいの小さい家に移り翻訳の仕事をする事に。婚約者の外科医(品川隆二)が愛人と妻は両立するというヤバイ思想の持ち主なので婚約を破談。
啓子は自分の心を見つめ直すと反発してばかりいた日疋を愛している事に気が付き自分から告白するが日疋は看護婦ぎん(左幸子)と結婚する事に決めていた。
傷心の啓子はエプロンをつけて買い物かごからネギを取り出し「わたし仕事を見つけて働くわ」と決意する。スカーレット・オハラによく似ている。
『風と共に去りぬ』がアメリカで出版されたのは1936年(昭和11年)。欧米文化の統制は始まっていなかったから岸田國士が原書を取り寄せて読んだ可能性はある。
病院の内幕と恋愛、山崎豊子やアーサー・ヘイリーを思い起こさせる群像劇。すごい長編映画の様に思えたが90分にまとめていてもダイジェストの様な感じもない。
文芸作品みたいな優雅な題名だけどなかなか生々しい人間と人間のぶつかり合う作品でした。さすが増村保造さん。