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ニュールンベルグ裁判のstanleyk2001のレビュー・感想・評価

ニュールンベルグ裁判(1961年製作の映画)
4.5
『ニュールンベルグ裁判』(Judgment at Nuremberg)
1961
USA
スタンリー・クレイマー・プロダクション

「ドイツ兵は知っている
いつか恋人を失うと
そして自分の命も

ランタンは知っている
お前の足音と歩き方を

僕は忘れ去られた
誰がお前と一緒に佇むのだろう
ランタンの下で
お前と
リリー・マルレーン」

「私はドイツに威厳を残したい。あなたの名が汚されたらドイツの独立は見込めません。過去を忘れ未来を見なくては。
永遠にアメリカに支配される事を望みますか?広島と長崎に原爆を落とした国ですよ。女や子供まで何十万人もが焼け死んだ。そんな道徳意識の国だ。そんな彼らに我が国の問題が解決できますか?何といえば分かっていただけるんですか?」
「何も。君からは何も聞こうとは思わない」

「600万もの人が殺されたことは本当に知らなかったのだ」
「あなたが無実であると知っていた人に死刑を言い渡した時にそれは始まったのです」

アビー・マンの脚本を元に製作されたTVドラマをスタンリー・クレイマーが映画化。186分の堂々たる大作にしてとても考えさせる傑作。

1946年ニュールンベルグでナチスドイツの判事達と法務大臣を裁く国際軍事法廷が開かれる。

アメリカ軍の検事が追求するのは
(1)人種や政治思想や障害を理由に断種手術を行った罪。
(2)ユダヤ人の強制収容を認めた罪。
(3)アーリア人とユダヤ人の間の男女交際を禁じて刑務所へ送った罪。

ナチスドイツ側の弁護人はそれらはナチスの独裁体制下で強制されたことで被告達に拒否をすることはできなかったと主張する。

(1)の断種事件の被害者はモンゴメリー・クリフト。両親が共産党員であるというだけで断種手術を受けさせられたと検事(リチャード・ウィドマーク)は述べる。

ナチスの弁護人(マクシミリアン・シェル)は被害者は知的障害がある事を法廷で暴く。三つの言葉で短文を作れと迫ると被害者は恐慌をきたし知的障害がある事を証明してしまう。当時のドイツ法では知的障害者の断種は合法なのだ。

(2)検事は強制収容所の記録フィルムを法廷で上映する。検事はダッハウ強制収容所の解放に立ち会ったのだった。ブルドーザーでおおきな穴の中に遺体を落としこむ。腐敗が進むために丁寧な埋葬ができないのだ。大量のメガネ、金歯、皮膚で作った電気スタンドカバー。凄惨なジェノサイドの記録。しかし弁護人は被告は詳細をしらなかったと言う。

(3)検事はユダヤ人と交際したために有罪判決を受け刑務所に入った女性(ジュディ・ガーランド)を探し出して証人台にたたせる。

彼女が「性的関係」を持ったと言われたユダヤ人は彼女が暮らすアパートの大家だった。何らやましい関係はなかったのに弁護人は大声で攻め立てる。

ついに被告の一人元法務大臣(バート・ランカスター)が立ち上がって弁護人を止める。「君はまた同じ事をするつもりか?」とたしなめる。

ナチス時代、警官やSSやゲシュタポは暴力的な取調べを行った。君はまた同じ事をするつもりか?無実の人を罪人にするのか?

法学の権威である師と仰ぐ元法務大臣から厳しく非難されて弁護人は口をつむぐ。

元法務大臣は裁判が始まってからずっと無言だったが今度は自ら証言をすると述べて自分の罪を認めて同僚の罪を暴く。ヒトラーを支持したのは国を愛するからだった。ヒトラーのおかげで不況を脱した。ナチスの時代もすぐに終わるから法を曲げて目を瞑った。

「我々が強制収容所の存在を知らなかったというのか?ならば私たちはどこにいたのだ?
ヒトラーが議場で演説した時はどこにいた?
夜、隣人がダッハウに連行された時どこにいた?
どこの村にもあった駅から子供達を貨車に乗せ死出の旅に送った時どこにいた?
夜中に叫び声を聞いた時はどこにいた?
私たちには耳も口も目もないのか?」

裁判長(スペンサー・トレイシー)は検察側、弁護側の証拠・証言を集めて判決を検討する。

裁判の途中でソ連がチェコの共産党クーデターに介入する事件とベルリン封鎖が起きる。アメリカ軍はソ連との直接対決を避けるために空からの援助物質の支援のみを行う。まるでウクライナやガザみたい。

アメリカ軍の中で判決に干渉する動きが出てくる。ベルリンに物資を送るにはドイツ人の協力が必要だ。だから被告達を有罪にしないほうがいい。

ナチス台頭時代と同じ。政治や経済のために法を曲げることに目を瞑れという圧力が裁判長に降りかかる。

被告達に降りかかった政治の圧力が裁判長に降りかかる。この物語が厚みを増すのはここからだ。

裁くものも正義を問われているのだ。観ている人に色々な問いかけをしてくる映画だった。

・モンゴメリー・クリフト、ジュディ・ガーランドの真に迫った熱演が素晴らしい。
・最初の登場場面から存在感があるバート・ランカスター。
・アメリカの良心スペンサー・トレイシー。
・マレーネ・ディートリヒの美しさ(当時60歳!)

判決を下してアメリカへ帰るトレイシーは滞在した屋敷の持ち主で親しくなったディートリヒに電話をかけるがつながらない。画面はディートリヒの部屋に代わる。なり続ける電話の前で佇むディートリヒ。

この場面は『評決』(1982)を思い出す。シャーロット・ランプリングがポール・ニューマンに電話をかけるがニューマンが電話に出ないラストだ。

・パンフォーカスを使った画面が印象的。空間とアップを両方同じ画面に捉えて緊張感がある。

スペンサー・トレイシーの判事はメイン州の引退した判事。地元の有力者に忖度しなかったので選挙で落選した事がある。アメリカの田舎の判事が考える素朴な原理原則への信頼がこの映画の根底にある。「正義と真実と一人の人間の命の重さ」

IMDBを見ると史実と映画のちがいがたくさん得る事がわかる。登場人物は複数の実在の人物を合成したものだし、実際の裁判はチェコクーデターの前の年に行われている。

『MINAMATA』と同じく分かりやすくする為にハリウッド流の脚色が行われている。だからこの映画を史実そのままと受け取ってはいけないけれど、史実に基づいている事も確かな事だ。長時間の大作だが緊張感に満ちた傑作だった。
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