Melko

裸足の1500マイルのMelkoのレビュー・感想・評価

裸足の1500マイル(2002年製作の映画)
3.6
(※下にネタバレ含みます)

静かな、静かな物語。
怒りよりも悲しみよりも悔しさよりも、ただ、家族の元に帰りたい。その一心で、歩き続けた1500マイル=2414km。

Stolen generation(盗まれた世代)
オーストラリア政府や教会によって家族から引き離された、オーストラリア・アボリジニとトレス海峡諸島の混血の子供たちを指すために用いられる言葉である。
1869年から公式的には1969年までの間、様々な州法などにより、アボリジニの親権は否定され、子供たちは強制収容所や孤児院などの施設に送られた(wikiより)

原住民と白人の間の混血児を、強制的に家族から引き離し教育し、白人社会に同化させる恐ろしい政策。ほんの50年ほど前まで続いていた。
学生の頃、研修で二週間オーストラリアに行き、アボリジニと交流したことがある。しかし恥ずかしながら最近まで、盗まれた世代のことについては知らなかった。いや、習ったけど忘れていたのかもしれない。こんなにガッツリ見たり聞いたりしたことはなかったから。
少し前に見た「ソウル・ガールズ」で初めて知った。本当に、ある日突然家族から引き離され、白人の文化・教育を施される。頼んでもないのに。ただ、
「他の子より色が白い」と言う理由で。
色が白いと、頭が良いんだって。
は?
隔離施設において、より高等な教育を受けさせるべく色の白い子を選別する場面がこの作品に出てくる。色が黒いと
「ダメだ」と言われる。何がダメなの?信じられないぐらい真っ向からの人権否定。

冒頭、母親から引き離され隔離施設に連れて行かれた14歳のモリー、幼い妹デイジー、従姉妹のグレイシーは、「ママのところに帰りたい」一心で、隔離施設を脱走し、2400km先の故郷ジガロングを目指す。「遠すぎる、逃げきれない」と及び腰の年下2人を引き連れ、雨やホウキで足跡を消したり、話のわかりそうな人間を見極めて話しかけ、食べ物や衣服を他人から施してもらうモリー、非常に頭がキレる。鉄のハートを持ち、時には年下2人を交互におぶって歩き続ける。

「保護」施設では、狭いベッドで寝置きさせられ、母語を禁じられ英語をたたきこまれ、体を洗われる。脱走して連れ戻されれば、髪を剃られ懲罰房に入れられる。これが人間のすることか?
逃げる3人を執拗に追う保護官が、「彼らを救うためにやってる」と言う。本気でそう信じてやってることに寒気がする。
白人至上主義なんて、思い上がりも甚だしい。

大仰な音楽もなく、楽しい歌や目に鮮やかな色もほぼない。カメラワークはテレビ映画並。
迫り来る追っ手をかわし、乾いた砂漠を歩き続け、ただひたすら少女たちが逃げながら故郷を目指す話なので、正直映画としては盛り上がりにも欠けるしこのスコアだけど、この作品を作ったと言うことそのものを評価したい。
人間の思い上がりや業が起こした歴史や事実を、誰かがきちんと後世に伝えなければならない。
「絶対に生きて帰る」
モリー役の、まっすぐで力強い瞳が印象的。映画としてはこの上なく地味だけど、オーストラリアの夜明けの空は、壮大で美しい。

逃げ切れ、母親と再会できたモリーとデイジー。映画の結末としては、一応のハッピーエンド。だけど、受け止めなければならない後日談。
途中の街にいるママに会いたくて離脱した結果、捕まって連れ戻されたグレイシーは、二度と故郷の地は踏めなかった。
モリーは結婚し娘を2人産んだが、親子ともども連れ戻された。下の娘を連れ再度脱走。上の娘とはそれきり会えず、下の娘も後に連れ戻され、それきり会えなかった。
肌の色が違うからなんだと言うのか?
大地に生き、火を起こし生き物を焼いて食えば、それは野蛮か?彼らは母語も英語も喋れるから賢い。仲間同士の絆は深い。
嫌だと言うのに、人の文化を受け入れ学び、お前の文化は捨てろ、とは、何様なのか?
盗まれた世代は、アボリジニでも白人でもない。どっちに行っても何か言われる。
彼らの苦悩や葛藤は如何ほどか。そんなことになると考え及ばないものか。
アイデンティティを見失えば、生きる意味も無くなってしまう。

何事も自分のことに置き換えて考えるべし。

私のように怒りが先行するのではなく、登場人物を冷静に受け止めた考察レビュー▼
https://gamp.ameblo.jp/cinema-kiss/entry-10437169615.html
Melko

Melko