家族の物語を描きつつ、救済の意味について想像を巡らせられる作品だった。
誰しも心の内に愛情とか思いやりみたいな温もりがあるのと同じくらい、何も立ち入らせない孤独な空間やどうしようもないだらしなさを抱えていると思うのだけど、だからこそ人は辛い時、共感を通して他者との繋がりに安堵したり励まされたりする。一方それぞれが個人の記憶や体験の歴史を持つ以上、当たり前だけど人生って本当に個人的なものなんだなと思う。自分の傷は自分で癒すほかないし、お互い相手の心の全てには触れられない。
誰も救うことができないという気持ちと、誰かのことを気にせずにはいられないという気持ちが同時に成立している。その矛盾にチャーリーもリズも苦しんでいた。言葉は矛盾を肯定するためにあり、ある人にとってはそれが信仰や物語となるのかもしれない。
それでも、何かを分かち合った気がした柔らかな思い出を思うと、自然と涙が滲んでくる。手は取れないけど近くにいて、個を生きる自由と見守る寂しさがある。踏みたくもない地雷を踏みながら周り道をして、その先にも正解はなくて、それぞれの受け止め方があるというだけなんだよな。