湯のみ

哀れなるものたちの湯のみのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.8
【世界は正直キツいけど。のその先】


リトルマーメイドでアリエルが「なぜ火は燃えるの 教えて」と歌う時、半ば反射的に目が潤む。

世界を知りたい(知らねば)と焦ったり夢見たりする気持ちは苦しいけれど、とびきりみずみずしくて弾けるパワーがある。

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主人公ベラは、ゴッドの庇護の元から半ば強引に、(しかしきちんと許可は取って)世界を知る旅へ飛び出す。

ミニスカートとショートブーツで歩く街には、エッグタルトの美味しさや心躍る音楽があった。
哲学との出会いは社会設計の矛盾、人間の傲慢さや野蛮さに対する気づきを与えてくれた。

生まれたての心を持つ彼女はものすごい吸収力でもって、社会や自分自身への理解を深めながら、真の大人の女性へと成長していく。

彼女がすごいのは、中身がベビーな分社会規範をぶっ飛ばしたところに存在するおかげで、体の感覚と心の感覚、二つに対する学習が矛盾なく繋がっているところだ。こんなこと思っちゃいけない、とかがなく、内なる反応を素直に受け入れている。

特に性欲は、ベラにとっては快感の探究という側面だけでなく、社会を理解する大きな手がかりとなっているというのが面白い。
初め、それはシンプルに自分を幸せにする爆発エネルギーであったものが、他者が絡むことで関係性の強弱やねじれを発生させる要素ともなるのだ。

例えば可愛がってくれていると思っていた相手でも、こちらが知恵を身につけはじめた途端に強健な態度をとってきたりする。あるいは、性欲を持ったり快感を得ること自体を禁じることで支配しようとしてくる者も。

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「自分の体は自分のもの」
当たり前のことでありながら、意識しないとそれはいとも簡単に、他人に委ねられてしまう。
体の所有権って人権主張の基本なんだなぁーなどと改めて気づかされる。

自ら命を絶ったはずが、ゴッドの手により胎児の脳を移植され、蘇生することで新たな人生を始めることとなったベラ。

命の創造というのは常々、産み手側の都合によって行われるものだ。
その前提がある上で、ベラの場合は善意という建前で実験の成果物として創られた存在であり、その過程で本来の自分の体は失われている。

この点では輪をかけて創造主・ゴッドの罪深さが浮き彫りになっているのだけれど、ここでは命を「つくる」という祝祭的な行為の裏でそっと黙認されている、誰もが持つある種のずるさや無責任さのようなものに、観察の光を当てている。

誕生に際し、創られるという側面がより強調されたベラの存在は、「命あるものは皆共通して、生のスタートに自らの意思を介在できない」という事実を突きつけてくる。

体に対しての主導権というのは、そもそも初めはこちらにないのだ。
だからこそ自分がきちんと愛でて、能動的にものにしていく必要があるのだと、ベラは本能で学び、それはベラの旅を目撃する私たちにも還元される。

社会を知るほどに、創られた側の理不尽感や戸惑いは募っていく。
だけどもベラはそのように不安する中で、怒りをさらに上回る奥深さ、面白さをこの世に見出し、そしてついには「生きることは魅惑的」とゴッドに語ってみせるのだ。

「素敵」でもなく、「楽しい」でもなく。

世界は正直キツいけど。のその先を示してくれたような。
ベラの成長と克服は、徒労感を抱えてもがき生きる上で、一筋の希望として映る。

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セックスを「熱烈ジャンプ」と表現したベラの感性が大好きだ。
生きるのには誰からの許可も必要ないし、意義は自分で見つけるもの。ただ、それにはどうやら…やはり、痛みを伴う冒険は必要らしい。

その事実を飲み込むよう試みつつも失敗し、懲りずに何度も腹を立てるだろう。時に意図せず味わいなど憶えたりもしながら、体が感じることを受け止めて、考え続けて、現実を生きること。
それが私の血肉となる。そう信じるしかない。
湯のみ

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